妖しい花の種子

 

 

 

 いつの世も、女は待っている。逢瀬を、ひいては時間を。男を、ひいては神を。焦がれるあまり、おのれのなかの座標軸が狂って、あのひとによく似たあやかしに身をゆだねてしまう。花妖。あのひととは異なる花の香りを漂わせていることを知りながら、あのひとであってほしいと願った。わたしだけにむけられた微笑、慈しみと細やかさ。あのひとにあってほしかったすべて。それは幸福な夢。目覚めたならば、醒める幻。もう一度あの逢瀬を、あの男を夢みるならば、このいのちを捧げるしかない。永く深く眠りに就いて、そのまま永遠に瞼を閉じてしまおう。(花妖)

 

 あなたはあまりにも無垢だった。その美しさは透きとおって曇ることの知らない水晶のような心から生まれたものだったのだろうか。あどけないくいとけなく、疑うことを知らないその心。この世に罪があることすら、あなたは知らなかった。聖少女。それこそがあなたの正体だった。あなたを奪っても、あなたの心を掠めとることは、誰にもできなかったのだ。それならばいっそ、殺めてしまおう。すぐにあとを追うからね。だから淋しくないよ。ほら紅葉が、ふたりの血の色に舞っている。待っている。あなたがこの手に堕ちてくれる日を。あのくれなゐが目に沁みる。(紅葉の)

 

 わたしはわたしを愛する者を呪います。氷のように凍てついたこの心を融かす熱を、誰のなかにも見出すことはできません。わたしはわたしを愛さない者を愛します。けっして振りむかない者、冷たい笑いを浮かべて背中をむける者を。あなたはわたしを愛してくれました。けれどもいま、その肉体もお顔に浮かべられた表情も、微動だにしません。氷のようにつめたくなってしまったあなたには、もうわたしを愛する心がない。わたしの耳に熱をそそぎこむような、あの言葉とは無縁になったその亡骸。わたしははじめて、あなたに二文字の母音を捧げることができます。この胸の内側の張りつめた湖の、こおりをとかして。(氷姫)

 

 
 これは速瀬れいさんが文を綴り、稲村光男さんが画を描かれた点滴堂から発行されている『王朝小品集 花妖』への感想として、ちょうど一年まえに捧げた文章です。このご本のなかの女たちはみな、それぞれが妖しい花の種子をおのれのなかに植えつけられた無垢なる少女。彼女たちが《女》になるとき、狂い咲くように花ひらき、そして惑いのなかに落ちて、堕ちて、墜ちてゆく。恋なんて知らない。ただわたしの瞳のなかに星を見つけてほしかっただけ。そこにただひとりの誰かと、たったふたりで棲みたかっただけ。