カルミラ、あるいは美しき少女

f:id:tukinoyume:20171231162648j:plain

 

 

 今年最後になって、大好きな物語の紡ぎ手である伊藤裕美さんの新作、『カルミラ族の末裔』をようやく読み終えることができました。白状しますと、わたしはすこしだけ恐れていました。裕美さんの綴られた『寄宿舎の秘密』をこよなく愛しているわたしなので、あたらしい物語に触れることが、ちょっぴり怖いような気がしていたのです。この文章を読んでくださっているあなたが《物語》というものを愛するひとならば、このような気持ちを、一度は経験したことがあるのではないでしょうか。

 

 「これはわたしの物語だ」と感じられるお話を――甘い血のミルクと砂糖細工でできているみたいな夢みるような瞳の少女と、《しこまれた》王女になることを自分自身に律する乙女の、秘められた罪の物語である『寄宿舎の秘密』はまさにわたしにとってはそういうものでした——綴ってくださった書き手が、しかしいつまでも「わたしの」物語を書きつづけてくれるとはかぎらない。不変なものなどどこにもなく、時間は過ぎ、人は変わるものです。それはけっして悪いことではない。瞬間のなかにしか《永遠》はなく、わたしたちは移ろってゆくからこそ、「変わらないもの」を夢みることができるのだから。

 

 そう思いながら読み始めた本書が、《カルミラ》の物語であったことは、どのような符号のなせるわざでしょうか。カルミラ、という名前にぴんとくるかたもいらっしゃるかもしれません。これは『吸血鬼カーミラ』に捧げられたオマージュなのです。

 

 ところで、わたしは幼いころから自分が物語の主人公にはなれないことを知っていました。おのれが《少女》にはなれないであろうことを、また知っていたように。なぜならわたしには勇敢さというものが欠けているから。勇敢さ、というのは主人公が主人公であるための、もっとも重要な要素です。それは軽率さであってはならない。無鉄砲と勇敢は似て非なるものです。慎重に思考し、曇りのない目で周囲を観察し、そして「いまこの瞬間に飛ばなければ!」というときに飛ぶことができる勇気のことが「勇敢」の意味であるならば、この物語の語り手、ペネロピーはそのような少女です。

 

 どのようにしてこのお話がはじまるか軽く触れておくと、ご先祖によって綴られたほのかな恋の記憶、《白の手記》にロマンティックな夢を抱いていた貴族の娘であるペネロピーは、寄宿舎で少女とも少年とも見紛う美しい謎を纏ったひとと出逢い、時計塔に棲むそのひとの持ち物に自身の《白の手記》とひとつづきの《物語》をなす《赤の書》を見つけてしまうという、引力に満ちた冒頭から、ペネロピーは彼女特有の勇敢さによって美しい謎を纏ったひとを覆う薄絹のさきにある顔を垣間見ることになるのです。

 

 『寄宿舎の秘密』が《王女》になることを祈る少女と乙女のお話ならば、『カルミラ族の末裔』は《カルミラ》になることを忌避し、しかし焦がれてやまない少女たちのお話でした。わたしにはこの《王女》と《カルミラ》がおなじもののように見えました。こういい換えてもゆるされるならば、裕美さんの綴られる少女たちは、「選ばれる」ことを切望しながら、いざ「選ばれた」そのときには、もう王冠は必要のないものとなり、それを棄てることも厭わない、そんなところがあるような気が、わたしにはします。欲しいものなど手に入れたらただのガラクタになる、とそういうことではなくて、それは彼女たちが《少女》という移ろう生き物であるから、そして自分が移ろうさがに生まれたならばいつかは《女》にならなければならず、《王冠》とは《女》になったものだけにあたえられる褒美であることに気づいてしまうから。

 

 幼虫が蛹になり蝶になるように。

 

 けれども《蝶》にはなりたくないと拒む少女がいても不思議ではなく、むしろその拒絶なくして《少女》とは呼べません。伊藤裕美さんの綴られる物語の少女たちを、わたしが真実の《少女》だと感じるのは、彼女たちがいつも「蝶にはなりたくない」と訴えている声が行間からきこえてくるからなのかもしれません。

 

 赤の書を読み終えたペネロピ―のように頁の隙間に自分の呼吸をはさむのさえ憚られるような気持ちでちいさく息を吸いこむながら、おはなしの喫茶室のかくらこうさんが記された美しい解説を読み、裕美さんのあとがきを読み終えたとき、泣きじゃくってしまいました。いつだって裕美さんの書かれる物語はわたしに「居場所」をくれます。「ここにいてもいいんだよ」といってくれる。どのようなかたちでもいい。彼女がこれからも書きつづけてくれますようにと、祈らずにはいられません。

 

 

 伊藤裕美さんの小説はこちらから購入できます。『カルミラ族の末裔』は菫の砂糖漬けイヤリングの限定版もありますので、気になるかたはそちらもチェックしてみてくださいね。

minne.com

 

minne.com

 

女吸血鬼カーミラ

女吸血鬼カーミラ