清原啓子 没後30年展/八王子市夢美術館

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 清原啓子という銅版画家をご存じでしょうか。

 

 生前に銅版画を三十枚のこして三十一歳で夭折した彼女の作品に緻密に彫られた物語性は、いまでも人々を磁力のように惹きつけてやみません。久生十蘭をこよなく愛し、その世界に耽溺して、乱歩やボルヘスの波をおよぎながら、その《愛》の羽ばたきをおのれのなかの確固たる骨組みとし、寸分の狂いもない設計図のもとに《城》を築こうとしたひと。わたしは彼女のことを、そんなふうに感じています。その《城》とはおそらく彼女自身の魂を容れる器――それをあえて、「肉体」とは呼びません——なのです。

 

 彼女が目覚めるのは、いつも夜です。深い眠りについた街のなかに、微睡まない魔都があり、彼女はそこに棲んでいた。つまり「現実」と名のつくものを自分自身から排除することで、彼女は彼女であろうとした。芸術家と呼ばれたことは、おそらく彼女が彼女であること、それを保とうとしたさきにあった付属物でしかないと、わたしは思うのです。

 

 作品のどれもがとても興味深かったのですが、正直なところ、わたしがもっとも心を奪われたのは彼女の言葉でした。きっと清原啓子は詩人となっていたとしても後世に名前をのこすひとだったと思います。

 

 公開されていた彼女の日記の一部、そのなかに「相反するふたつのものを両立させること」というような意味のことが記されてありました。相反するふたつのもの、としてあげられていたなかに「愛と死」と綴られてあるのを見て、《死》の対義語は彼女にとって《生》ではなく《愛》なのか、と感じたことを覚えています。愛。たしかに愛がなければ、死んでいるのとおなじことです。少なくともわたしはそのように思うし、清原啓子にとってどうだったかは、彼女だけが知っていればいいことです。

 

 創作ノートに書き記された文字は、そのひとつずつが鉱石みたいに美しかった。彼女の作品も彼女の言葉も、そしてその文字も、すべてが精妙な美術品でした。完全に調和されたその世界に、綻びはひとつも見えない。あらかじめ死に絶えた廃園のようなその世界を壊すことができるのは、ただ創造主である彼女だけなのです。

 

 

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 おみやげの絵葉書と目録。宝物にします。