巫女

 


 「飛んで」しまった少女というと、わたしはまず矢川澄子を思い浮かべます。


 矢川澄子の著書を何冊か読んだくらいの知識しかないので、これからお話することは見当違いであることを承知で聞いてやってくださいね。

 

 手触りとして、わたしは矢川さんの文章から、とても窮屈そうな女性だという印象を受けるのです。お人柄のことではなく、なんというか思いがけず自分の肉体に閉じこめられてしまって、そのまま自由に息をすることができなくなってしまった少女、という感じ。

 

 そんなふうに思うのは、もしかしたらわたしだけかもしれないけれど。


 彼女と澁澤龍彦とは、共犯者的な関係を結ぼうとして破局してしまったご夫婦だったけど、同時に神と巫女の関係を築こうとして破綻してしまった事例なのではないかと、わたしは考えたりするのです。いつまでもお互いの名前を出されるのは澁澤さんも矢川さんも、あるいはあちらの世界でうんざりされているかもしれないわね。


 ほんとうにわたしの勝手な推測なので聞き流してくれてかまわないのだけど、矢川澄子は「巫女」である自分というものに疑問をもってしまったひとなのだと思うの。

 

 もっといえば、巫女とは神さまからあたえられるだけの女のように思えて、だからおなじ目線でおしゃべりできる女神になりたくて、でも巫女も女神も男の「美神」であることに変わらないではないかと疑ってしまったとき、神への不信感が芽生えて、神さまなんていなくてもわたしは自分で「声」を紡げるのではないか、紡げなければ本物の芸術家にはなれないのではないか、という結論に達したとき、破局がやってきたのだと個人的に解釈しています。

 

 その気高さと傲慢に満ちた「独立」を、神さまはけっしておゆるしにならなかったようだし、また彼女はやっぱり神さまに縛られた「巫女」のまま飛んでしまったようですね。


 ところで柳田國男の『遠野物語』のなかに、山人にさらわれて婚姻を結び、妻となったひとの話が登場しますよね。山のなかに閉じこめられ、幾度子どもを生んでも夫によって殺められてしまうという、あのどうしようもなく哀しい話。母になれず、女として成熟することもゆるされず、いつまでも「少女」のままでいることを男から押しつけられたひと。

 

 わたしはね、矢川澄子のことを考えるとき、あの話を思いだすの。 

 

 「山人」とは山の神であるから、あの少女もやっぱり「神の妻」の変種なのです。矢川さんの生を神の伴侶としての女として意味づけてしまうのは、あまりにも切ない。でもなにが不幸で幸福かなんて、誰にもわからないものです。ひょっとしたら、自分自身にさえ。

 

 だから神にたどりつくために「飛んだ」少女たちが、不幸だったなんて誰にもいうことはできない。おのれの肢体から螺旋階段のような薔薇が咲き、その綻んだ花びらのなかで、流す汗さえも甘く芳しい蜜になってほしいと願う少女たち。

 

 けれども遠くから眺めているときには恍惚のため息を誘われたその花は、もしかしたら唾と汚物から生まれた壮麗な贋物の薔薇なのかもしれない。そうだとしても、それが本物より美しいとか醜いとか、きっと誰にもいうことはできません。


 どんな少女も必ず死ぬ。

 

 ほとんどの場合、思春期の終わりとともに彼女たちはおのれのなかの「少女」を葬って、蛹から「女」という蝶となり、脱ぎ捨てた亡骸に見向きもしない。いっそ潔いほどのその態度。いつまでも少女でありつづけることは歪みであることを、彼女たちは知っています。それを知っている者だけが「少女」なのです。少なくとも、わたしにとっては。

 

 少女が自分で自分を殺すとき、それが稀に、現実の「死」となることもある。

 それが矢川澄子の場合であり、二階堂奥歯の場合なのではないでしょうか。

 そして彼女たちは「巫女」でもあった。


 倉橋由美子の『聖少女』に、こんな会話が出てきます。


 *

 「すすんで罪を犯すことは、聖女になるみちかもしれませんわ」
 「たぶん未紀はその聖女だったのだろう」とぼくはいった。「そして聖女から神に……」
 「いいえ」と未紀はぼくをさえぎった。「聖女は神にはならないわ。聖女は神につかえるマゾヒストですもの」

 *


 ここで登場する「聖女」とは、おそらく神の声を聴く巫女のことなのだと、わたしは思うの。聖女は神さまがいないと「声」を紡げないし、なにより神に自分自身を託しているので、神譲りはできないのです。たとえ神さまが滅んでしまっても、神を信じた気持ちが滅びなければ、それは「不在」ではありません。

 

 でも神を信じて仰ぎつづけることのできる「巫女」は、ほんのひと握り。

 そして不審こそが破局につながる。


 『八本脚の蝶』を閉じたそばから、たまらず『兎とよばれた女』を読み返しながら、そんなとりとめのないことを考えているわたしです。

 

 

 

 (Kに宛てたいつかの手紙の断片から、26)