聖セシリアの面影/Silent Music

 

 わたくしごとからはじまりますが、日曜日にロザリオをお迎えしました。

 

 わたしはクリスチャンではないのだけれど、祈りのかたちとして以前からそれが手もとにあってほしいと願っていて、けれどももちろんどのようなものでもいいわけではありませんでした。わたしはわたしのために存在してくれたのではないかと錯覚を抱いてしまうようなロザリオをたったひとつだけお迎えし、わたしの心を守るために、愛のために、そして祈りのためにそれを掌のひらで大切に包みこみたいと願っていました。

 

 そしてその願いのゆきつくさきとしてみちびかれた、Fai†hさんのつくられたロザリオにひと目で魅入られてしまった。それはローズクォーツと薔薇で彩られたロザリオで、マリアさまのメダイの裏側に「MMACULATE HEART OF MARY PRAY FOR US」と刻まれていました。わたしはあきらかにそのロザリオに惹かれながら、しばらく逡巡したのはピンクという色への幼いころからの劣等感によるもので、それはわたしには「かわいい女の子の色」であるがためにおのれが身に纏う色ではないと断じてきた色でもあったのです。

 

 しかし迷うわたしの脳裏に、ひとつの啓示のようにローズクォーツは愛の色だとある乙女がわたしに囁いてくれた言葉がよみがえりました。「あの石は自分自身を愛しましょうという誓約なのです」——ピンクは母の子宮の色であるから愛の色なのだと、そのむかし誰かに教えられたことがあります。ピンクに怯えるわたしはだから、愛に脅えていたのかもしれない。そこまで考えて、このロザリオはやはり自分のためのものなのかもしれないとわたしには感じられました。愛のための祈りとしての象徴。

 

 わたしの頭から迷いの霧が晴れ、晴れやかな気持ちでそれをお迎えし、そのまま首からさげて訪った場所が東中野のマリアさまのお庭であることも、またひとつの約束であったかのように不思議なことです。長すぎる前置きになりました。

 

 Silent Musicさまでは現在、「聖セシリアの面影」展が開催されています。

 

 

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 聖セシリアはいつも心に旋律の音色を奏でていた音楽の聖人です。日香里さんと豊永侑希さんが絵でSERAPHIMさんがお洋服で、聖セシリアの《面影》に迫るこの企画展は、Silent Musicという場所で「奏でられる」からこそよりいっそう美しい幻影みたいに足を運ばれたかたの心に光を射すのではないかと、幾度も絵を眺めお洋服を見つめ空間に満ちている祈りを吸いこみながら、わたしはそんなことを考えていました。

 

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 階段をのぼると出現するマリアさまのお庭。そこは聖らで清らな祈りの場所。訪うたびにおのれの魂が浄められるような気持ちになるのは、そこに宿った祈りが瞼が灼かれる太陽みたいに神々しいばかりに目が眩む強すぎる光ではなく、あくまでやわらかくやさしい光だから。静かな音楽のごとく密やかに。

 

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   日香里さんの紗を纏ったあわい夢に微睡み甘い吐息を落としながら、その瞼の裏側でなまなましい現実を直視しているような女性に、豊永侑希さんの薔薇色の雲から生まれ、暁の指で世界を祝福しながら音楽に祈りを捧げている天の女神のような女性に、そしてSERAPHIMさんの芸術品のごときお洋服の似合う女性に憧れます。

 

 「聖セシリアの面影」展は、わたしの憧れそのものでした。

 

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 ローズクォーツと薔薇の象徴に愛の祈りを感じてお迎えしたロザリオを首からさげながらはじめて足を運ぶことができたのがこの場所であったこと、そして訪った展示が薔薇の名前にもなっている聖女のものである不思議な符号に、わたしの心が音階を奏でるように震動しました。

 

 聖セシリアのパールピンクの薔薇はローズクォーツの色なのだそうです。——それは愛の色。

 

 「中世を生きた聖セシリアの生涯は伝承という形でしか残されておりませんが、私なりにその面影を綴ってみたいと想いを温めておりました。」とこの展示のためにその《面影》を追想された久保田恵子さんのちいさなご本をお迎えし、さっそく昨夜から紐解いております。修道院で神の花嫁として自らを捧げた聖女たちとおなじ祈りをもち、そのうえで「信仰」という言葉のなかに自らを埋没して無効化することなく強い意志をもっておのれのなかに確固たる聖堂を築き、その場所をいつも清らかに保たれていたかた。信じて仰ぐというよりも信じて念じる「信念」のかた、やわらかく、しかししなやかなかた。そのご本に綴られる聖セシリアからそのような《面影》が感じられました。

 

 

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 愛と祈りのなかにいること。信念をもつこと。