蝶になることへの祈り

 

 

 ずっとわたしは悲しかった。少女のままでいられなかったこと、いいえ。少女になれなかった自分が悲しかった。少女でないわたしは、しかし女にならなければいけない。そのことを思うとたまらなくなりました。

 

 この「女になる」ということが、呪いのように恐ろしかったのです。わたしは女になどなりたくなかった。わたしを女にしようとするものすべてを拒絶していた。世界も時間も男も、わたしにとっては自分という存在のあえかを葬る者でしかなく、彼らの手によって「死」を迎え、わたしという存在が亡骸となり幻と消えるそのときを、世界であり時間であり男である「他者」たちは待ちかまえている。

 

 蛹が蝶になるのを待つように。

 

 でもわたしにはわかっていたのです。わたしが美しい蝶になれる可能性なんて、ゼロに等しいことだということを。だからこそ、わたしはおのれのなかに広がる宇宙空間の夢に逃げたかった。そうはっきりと意識したことはないけれど、夢にこそ救いと愛を求めていた。自分以外の何者の手によってもその「夢」を殺められることを拒絶し、自らの宇宙に輝く月へと還ってゆきたかった。


 「かえる」という言葉は、意味深長ですね。

 

 巣に「帰る」。自分に「還る」。卵から「孵る」。

 

 わたしはずっと、「かえりたい」と祈っていました。でもそれは不可能なのかもしれないと、また感じていた。

 

 しかしわたしの世界は少しずつゆっくりと変化してゆくようです。自分でも知らないうちに。そしてそれが嫌ではないことに自分でも驚かずにはいられません。わたしにとって、世界であり時間であり男であるひと。わたしにとって唯一そうであるひと。わたしはそのひとによって《女》になりたいと、そう願ってすらいるようです。いい加減、わたしはわたしの過去に花束を捧げて、それをお墓のなかに埋葬してあげたいの。

 

 美しい蝶になれる可能性はゼロではない。ゼロではないからこそ、わたしはそれに賭けてみたいような気持ちなのです。わたしは美しい蝶になりたいの。ほかでもないただひとりのひとのために。

 

 愛は変わってゆくことを畏れないことなのだと、わたしもようやく気づきました。

 

 ひとの一生のように、愛にも誕生があり成長があり老衰があるという考えかたを、わたしはずるい思考だと潔癖な気持ちで思っていた。愛とはただひとつの星であり、空洞をもたない質量でなければならないと。けれどもわたしが変わってゆくのなら、わたしのなかに宿った《愛》もまた変容してゆくのはあたりまえのことだ。水のように姿を変えながら、しかしその変わってゆくわたしをずっとそばで見ていてほしいと願うこと。どのように変化しようと、それだけが変わらないように祈ることが愛なのだと、いまは思います。

 

 蝶になること、そしてそれをわたしのあたらしい《夢》、あたらしい《祈り》とすることを願います。