初恋

 

 

 まえのお手紙で綴りましたね。わたしが十七歳を迎えるまえのこと。

 鈴の音に招かれて眠りに就いたとき、決まって見ていた夢のこと。


 その夢がどんなものであったのか気になると、せっかくあなたがいってくれても、あなたの興味を満たすような話なんて、わたしにできるでしょうか。いいえ、べつにもったいぶるつもりはありません。聞きたいというのなら、お話します。

 

 その夢を見ていたのは十六歳から十七歳にかけてのころで、そこにはわたしとおなじ年の男の子が登場しました。夢のなかだけの男の子です。その男の子には名前もあって、それはやっぱり「K」からはじまる名前で、わたしはかれから聞いたわけでもないのにかれの名前を知っていて、その名でかれを呼んでいたのです。


 かれはどこにでもいました。太陽を仰ぐ向日葵の群れのなかに、蛍が浮かぶ夜の河原に、黄金の音楽を奏でるように舞う銀杏並木のなかに、雪が白い蝶の死骸のように舞う景色のなかに。

 

 かれはいつも素っ気なくて冷たくて意地悪だったけれど、わたしはかまわずにかれにいろいろな話をしました。くだらなくて、つまらないお話。けれども誰にもいったことのないこと。たとえば、自分が本を読むという行為に対して、とても罪悪感を抱いているというお話。

 

「わたしは活字を食べてないと、精神に栄養失調を起こすの。それって健康といえる? 大脳が病的な慢性飢餓で膨れあがっているのよ。狂った羊のように書物を食べても、そこから生まれるのは暗闇だけ。果てしない暗闇、肥大する暗闇、その暗闇がわたしのなかに広がってゆくだけ。その重たい空虚で身動きできなくなるとき、わたしは自分のなかの宇宙に閉じこめられて、発狂してしまうんじゃないかと思うことがあるの」


 そんなわたしの話になにもいわずに耳を傾け、かれは倦んだ微笑を浮かべていました。そういう会話をゆるやかに繰り返しているだけの夢。

 

 わたしの十七歳の誕生日が迫っていたある夜、また頭のなかで鈴が鳴り、かれに会っていつものように馬鹿な話を繰り広げていたとき、かれがいつになく冷たい目で自分を見ていることに気づいて当惑するわたしに、かれは突然馬乗りになって首を絞めてきたのです。


 「きみがぼくを殺そうとするから、ぼくはきみを殺すしかないんだ」


 そんな言葉がかれの息とともにわたしの顔に降ってきたとき、わたしはその意味を理解しなかったけれど、かれがわたしのせいでとても苦しんでいることがわかって、このひとのために死ぬのならそれも悪くないと思い、首を絞められていて声が出せなかったから、意思表示のために大人しく目を閉じて、唇だけで笑ってみせたの。

 

 わたしの頬に温かい雫が一滴落ちてきたと思ったとき、それをかれの涙だと考える暇もなくわたしは目を覚ましました。夢から醒めたわたしの頬にはやっぱり温かい雫がこぼれていました。それはわたしの涙だったのだけど。

 

 それから夜に鈴の音が聴こえることもなくなり、だからかれと夢で逢うこともなくなって、そのまま誕生日を迎えて十七歳になった夜、わたしははじめて、かれとはもう逢えないのだということを悟ったのです。

 

 「わたしのなかのかれ」は死んでしまった。わたしが殺してしまった。わたしが十七歳になってしまったから。わたしが女になってしまったから。

 

 そのことに気づいて、もうどうやっても取り返しがつかない事態に呆然として、わたしのどこにこんなに涙が蓄えられたのだろうというほど泣いて、ひと晩中泣いて、それがわたしの「十七歳の別れ」だったのです。それはナルキッソスが湖面に映った自分の顔を見ていたのとおなじようなものだったのかもしれないけれど。

 

 それでもそのうえで、あれがわたしの初恋だったといまになって思うのです。たぶん、おそらく、きっとね。

 

 

 (Kに宛てたいつかの手紙の断片から、24)