太陽

 

 

 ときどき太陽の夢を見るの。

 

 空に輝くその円が、少しずつわたしに近づいてくるのです。

 でももしかしたらわたしのほうが太陽に近づいているのかもしれない、なんて思っているそばからわたしと太陽の距離は緩慢に接近しつつあり、自分が空にむかって落ちていることに気づいたとき、この球体を全身で抱きとめて火傷するか、それとも呑みこんでわたしのなかで一体化するか迷っているうちにもうそれは目前で、心を決めて目を閉じて次に目を開けたとき、眠りから覚める。そういう夢。

 

 太陽を呑みこむことなんて、きっと不可能だと目覚めるたびに思うのです。せいぜい抱きとめるくらいが精一杯のところで、塵とならなかったら上出来だと。

 

 太陽はなんの象徴でしょうか?

 

 寝ても覚めても夢に遊ぶ病。夢遊病。夢のなかこそがわたしのうつつだったならよかったのに。それとも現実とはけっして醒めない夢のことだから、夢こそが人生になってしまったら、わたしはそこからも逃れたいと願うようになってしまうのかしら。

 

 あなたはいつか、夢に遊ぶという文字通りの意味では、そのとおりわたしは夢遊的な女だけど、でもそこに「病」という言葉をつけるには少し、わたしは夢と現の分別がつきすぎているといいました。

 

 きっとあなたのいうとおりね。わたしは年をとりすぎました。

 

 夢に恋でもするような熱病みたいな「病」を永遠に患っているためには、わたしは十七歳という年齢を過ぎてはいけませんでした。

 

 そのころは眠りに就くまえに、たまに鈴の音色が聴こえてきて、それはたぶんわたしの頭のなかで鳴っている鈴だったのだと思うけれど、その鈴の音がすると、決まっておなじ夢を見ていました。

 

 その夢がわたしから去ったとき、わたしの子ども時代は終わったのだと思います。

 

 なにを見ても怖くて、だからなにを見ても輝かしかったころ。

 燃え立つ炎のなかに本能的な恐れを抱くような、空を飛ぶ鳥が神さまの使いのように思えて畏怖するような。そしてほかのひとには見えない自分だけの「誰か」のいた子ども時代。

 

 あのころはいつまでも、沈もうとしているオレンジシャーベットみたいな太陽の黄昏のなかで、わたしのなかに生きているけれど、でもそれはもう、さかさまにした望遠鏡越しに見た風景のように、遠くてちいさな過去となってしまいました。あの夕暮れのなかに自分自身が真実存在していたのかすら、訝しんでしまう。

 

 そんなわたしを、太陽は罰しようとしているのかもしれません。

 けっして忘れるな、と。

 

 太陽とは眩しくて暗黒に似た、わたしの子ども時代の象徴なのかもしれない。

 

 それを呑みこんだとき、あのころはほんとうの意味で「過去」になるのかもしれない。きっとそのとき、わたしの青春がわたしにつけた疵も快復して、わたしはまともな大人になれる。

 

 でも、そんな日は来るでしょうか?

 

 太陽を呑みこむなんて不可能だと、わたしは自分でいいました。

 それならこのままずっと、わたしこんな夢遊的な存在のままなのかしら。

 あのころの自分はとうの昔に埋葬されてしまったのに、それなのにいつまでもまえに進むことができない。

 

 子どもと大人の狭間で、過去と未来のあわいで。

 

 

 

  (Kに宛てたいつかの手紙の断片から、23)