醜魔、美しき欠落

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 醜魔。

 その言葉をどこで覚えたのだろう。

 倉橋由美子に『醜魔たち』という短篇があるけれど、それを読んだときにはすでに、わたしの胸にその言葉は棲みついていた。

 クレーの絵に『醜魔のとき』という題名のものがあるらしいけれど、とっさにどんな画だったのか思いだせないくらいだから、そこから知ったのでもないと思う。

 

 醜魔。

 いつからかわたしのなかに巣をつくったその言葉を胸のなかで反芻するとき、わたしはかぐやひめのことを考える。そういったら、きっと不可解なものを見るように疑問符を浮かべた顔をむけられてしまうと思う。

 

 かぐやひめのどこにも、「醜い」という文字が割りこむ隙間はない。

 彼女はただひたすらに美しく、ただひたすらに儚い、月の住人なのだから。

 

 しかしいつか読んだ絵本に、かぐやひめの言葉として、こんなことが記してあったのだ。

 

 「わたしはこの世のものではないのです。だから、誰のもとにも嫁ぐことはできません。わたしのように醜い者が、相手の心も知らず、うっかり信じて結ばれたなら、あとには不幸が待っているだけです。」

 

 幼いころの記憶だから、一字一句正しいとはかぎらない。確認しようにも、かなしいことにあの絵本はどこかに紛失してしまった。そんな絵本がほんとうにあったのか、いまとなっては幻だったような気持ちになることもある。けれどもそれを目にしたときから、わたしはかぐやひめという物語に魅せられている。かぐやひめというひとに囚われている。

 

 そしてかぐやひめは醜魔なのだと、いつからか考えるようになった。あまりにも美しくて、それゆえに醜いもの。

 

 秀でたものと劣ったものは、ただ突出する方向が真逆なだけで、世界の異分子であることに違いはない。どちらも異端なのだ。それが「月」という概念に象徴されている。この世の外からやってきた者。一時的な逗留者。いずれは自分の故郷に還る者。《だから》異分子であることをゆるされた者。

 

 彼女の示す「不幸」とはどんなものだったのだろうか、とわたしはときどき考えてしまう。その答えはまだ見つからないけれど、でも彼女にとっての「幸福」とはなんだったのかは、漠然とながら理解しているつもりだ。それは、美しくも醜くもない者となること。世界の「異分子」ではなくなること。もてはやされる逗留者ではなく、すておかれた永住者になること。それが叶わないと知っているからこそ、それを彼女は望んでいたのではないかと、わたしは想像をめぐらせる。

 

 かぐやひめ。うつくしくてみにくい女。月に還るとき天の羽衣を纏って、人の心を喪ってしまった彼女。これは「欠如」を綴った物語なのだと、わたしは勝手に思っている。幸福の欠落、愛の欠落、心の欠落。だからこそ、わたしのなかの「欠如」に強く訴えてくるものをもっているのだ。そのことにわたしは、気づいてしまった。

 

 

 *作者不詳『竹取物語』、あるいは『かぐやひめ

 

 

 

 

かぐやひめ

かぐやひめ