忘却

 


 「忘れられる」ことへの恐怖がないといった、わたしの言葉にあなたが興味をもたれるとは思いませんでした。だけどせっかく関心を抱いてくれても、わたし自身もそれについてはうまく説明することはできそうにありません。でも、そうですね。以前あるひとに、こんなようなことをいったことがあります。



 わたしはどなたがどういってくださっても、ほんの幼いころから自分が他人に影響をあたえるようなことがあるとは信じていません。

 

 わたしを好きだといってくれるひとも、影響を受けたというひとも、わたしがいなくなればほかの誰かをさがすでしょう。それはあたりまえのことです。だからもちろん責めるつもりもないし、淋しいともほとんど思わないわたしは、そのために親しくなるほどに冷たい人間だと認識されるでしょうし、それでもいいといってくれるひととしか、つきあうことはできないのです。

 

 もしわたしが自分から去っておきながら、忘れられて淋しいといったとしたら、そのときこそ身勝手だとわたしのことを責めてください。

 

 わたしの言葉は言葉のまま受けとってほしいと、そう何度もお願いしたはずです。だからこれも、そのとおりの言葉として受けとってください。単純な人間のことをむつかしく考えないことです。そしてこれからは、わたしのことを考えてお悩みになる必要もありません。

 

 もうわたしのことなど忘れたほうがいいと思います。

 

 そのほうがきっとあなたのためになるし、わたしのためにもなります。



 わたしはね、自分という存在そのものを、あんまり信じてはいないの。

 

 わたしがいなくなっても世界は正しく呼吸しているし、呼吸してくれなければ、わたしも困るのです。わたしは多くのものを信じようとは思わないし、信じていることといったら、わたしが何者でもないという自分のなかの「無」だけ、ということになってしまうのかもしれないけれど。だけどそれは、なにも信じていないということと、おなじ意味になってしまいますね。それがわたしのポリシーだといってしまえば、そうなのかもしれません。

 

 いつか気味の悪い「無」そのものになることがあったとしても、女の姿をした悪霊になった自分で遊びながら、楽しめることができたらいいと思います。あとで自己嫌悪に陥ることがわかりきっているのに、こんなお話してしまって。読み流してやってくださいね。

 

 そしてね、いま少しだけ思ったのだけど、「忘れられる」ことを淋しいと思わないわたしだからこそ、あなたとこうしてお手紙をかわすこともできるのかもしれませんね。

 

 あなたはなんでも忘れてしまうひとだから。

 

 そしてわたしは、砂漠のなかのひと粒の砂のかたちでも暗記するように、自分の言動を隅々まで覚えていられるのが、とても苦手なほうだから。

 

 だからあなたのその忘却が、わたしにはいっそ心地いい。

 

 いつかあなたがわたしのことさえ忘れてしまっても、そのあなたともう一度新しく出逢って、またこうしてお話できたら、わたしは嬉しい。

 

 わたしたち、そんな奇妙な縁で結ばれているような気がするの。けっして赤い糸ではなくて。

 

 

 (Kに宛てたいつかの手紙の断片から、20)