アノンハットの乙女帽子店/SERAPHIM

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 キバナコスモスが咲いていた。

 

 宙で曲線を描きながら火花のように散りばめられたその花を、国立の駅の南口からでてすぐの場所に見つけたとき、黄色く色づいたそのちいさな花火がなぜだかわたしたちを待っていてくれていたような気がした。コスモスは秋の桜と漢字で綴るお花だけれど、そのひとひらに甘やかな愁いを秘めて星屑みたいに花びらを散らし、黄金の蜜の部屋に自らの宇宙を確立しているところは、たしかに人魚の鱗がばらばらに砕けるように散ってゆくあの春の日の白昼に幻視のごとく出現する桜が感じさせてくれる、憂いに満ちた花の名残りとよく似ているかもしれない。

 

 もっとも、花というものはどれをとってもそれ自体がひとつの星のようなものであり、桜にかぎらず秋桜にかぎらず、よく眺めればそこにかならず宇宙的なひろがりを感じることができる。コスモス――秩序という意味をもちながらあの花は、愛するひとの姿をさがすように思い思いに湾曲し、首をめぐらせ混沌としたなかに美が感じられる不思議な花だ。白秋桜花言葉は美麗と優美。桃秋桜は乙女の純潔。それなら黄花秋桜にむかしのひとが捧げた意味はどのようなものだったかしら、とわたしはうわの空で考えながら目的地までの長くて短い距離を歩いていた。

 

 遠方からの友人がどうしてもSERAPHIMさんに訪いたいというものだからスケジュールを調整して「それならこの日にあの乙女の秘密基地に足を運んでみましょう」とお約束したとき、まだわたしたちはその日がアノンハットさんのお帽子がお披露目される個展の初日であることを知らなかった。

 

 またキバナコスモスだ。

 

 曲がり角を右折すると、ふたたびあの花がわたしたちのまえに姿をあらわした。まるでなにかのしるべみたいだと、わたしは漠然と感じた。たとえば森のなかで迷ったヘンゼルとグレーテルのための目印の小石のように。わたしたちがこれから訪うのは、もしかしたら甘いあまいお菓子の家なんじゃないかしら。そこにはきっとやさしい魔女が棲んでいて、美しい秘密を閉じこめたその唇で微笑を浮かべてくれるに違いない。——そんなふうに妄想の綿飴をふくらませているうちに到着した合言葉のいらない秘密基地のまえには、「秩序」をもって順番を守り整列している乙女たちの姿があり、わたしは口のなかでちいさく「コスモス……」と呟いた。秋桜の花咲く森から出現したようなファッションに身を包んだ乙女たちは、恋に浮かれているみたいに落ち着かない様子で、皆それぞれにおともだちとなにか囁きあっている。

 

 約束の鐘が鳴り響き(それは乙女にしか聴こえない鐘の音だ。)開店の合図とともに花のごとき乙女たちは店内に吸いこまれていったけれども、やはり、というべきかその場所は、わたしが予期していたように「お菓子の家」の様相を呈してわたしたちを招き入れてくれた。菫色のマカロンみたいな苺のケーキみたいな、たくさんのお菓子にも似たお帽子が所狭しとあふれていた。そのどれもがとびきりお似合いになるかたの手に渡り、あっという間に棚から消えてゆく。お帽子を素晴らしく美しいお皿のうえにのせてお菓子に見立てる遊びをマリー・アントワネットならしたかもしれないわ、と思いながらわたしはそれ自身が輝く光彩を放つお帽子を眺めていた。打ち明けると少しどころではなく心が動かされてお迎えしたいと思いながらベリーのタルトみたいなお帽子を幾度か冠みたいに頭にかぶってははずし、棚に戻すことができなくて長いこと手にもっていたのだけれど、お帽子をお迎えするのがSERAPHIMさんに訪問した目的ではないことに加え、きっとわたしはこの子に選ばれていないだろうと悟り、泣くなく諦めたのでした。

 

 そのかわりといってはなんだけれど、わたしの手にやってきてくれたフランチェスコ修道会のレシピでつくられた石鹸とÉtoile d'Amourさんの蝶と小さなアンティクモノグラムのネックレスという「財宝」を鞄にいれると、ヘンゼルとグレーテルは「お菓子の家」をあとにし、キバナコスモスを辿って、おうちへと帰ってゆきました。

 

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