みんな怖いんだよ

 


 鏡に笑いかけてみる。すぐに鏡のむこうからおなじ微笑が返ってくる。

 

 ――——ほんとうに?

 

 子どものころ、わたしは母の鏡台のまえで、そのむこうにある無限を覗きこみながら、よくひとり遊びをした。


 あなたはだれ? わたしはだれ?

 

 答えはない。ただただ、雄弁な沈黙。ただただ、閉口した饒舌。

 

 わたしは濃密な不在の匂いを残している誰もいない黄昏の家のなかで、ひとり、鏡のさきにひろがる「魔」を見つめていた。


 わたしはあのこ、あのこはわたし。

 

 ――——ほんとうに?

 

 もしもそれが、偽りだとしたら。もしもそれが、欺きだとしたら。

 

 わたしという人間に、なにもかも似せた存在。わたしを知覚し、認識し、動作や言動を真似るころで、わたしになろうとしている「誰か」。あの硝子のむこうにいるのは、そんな危険で不吉な「誰か」なのかもしれない。いつか完全な「わたし」になったとき、わたしの肉体をわたしから奪うために、いまもこちらを凝視し、観察しているのだ。

 

 そう思うと、突然不安になった。

 

 鏡越しにむかいあう「わたし」の目は暗く虚ろなふたつの穴であり、わたしが笑っても驚いても蒼ざめても、おなじ表情を浮かべながらその実、無表情に目を凝らしているのだ。不意にちいさな悲鳴をあげて、口走りたくなる。誰かに訴えたくなる。

 

 「これはわたしではないわ。にせものよ!」


 ――——ほんとうに?


 どちらが本物かなんて、誰にわかるというのだろう。贋物なのはわたしのほうかもしれないし、それを告発するために鏡はわたしを見つめているのかもしれない。


 「あなたが本物であることを証明してください」

 

 そう囁くように。


 ミヒャエル・エンデの『鏡のなかの鏡』を読むと、そんな黄昏時がよみがえる。わたしのからだのなかに破片のように突き刺さる記憶。あの不安と、あの不吉と、あの不穏を思い出す。


 わたしはほんとうに「わたし」なのかしら? 

 

 鏡のむこうに閉じこめられていた贋物が、「本物」を侵食し、都合よくおのれが偽りであることを忘れてしまっている可能性だって、ないとはいえないのではないか。あの黄昏の時間が、あの罠のような魔の時間が、わたしのなかに生きかえる。息かえる。鏡のなかの鏡の迷宮に彷徨っていた、オレンジシャーベットの光の時刻が。


 この書物が呼び覚まそうとする、わたしのなかのなにか。それがこわい。なにが怖いのかもわからない。わたしにわかっているのは、それはわたしだけではないということ。みんな恐くてたまらないのだということ。

 

 

 ミヒャエル・エンデ 丘沢静也訳 『鏡のなかの鏡—迷宮』 岩波現代文庫

 

 

鏡のなかの鏡―迷宮 (岩波現代文庫)

鏡のなかの鏡―迷宮 (岩波現代文庫)