乙女とギタリストの刹那の虹

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 (その瞳に覆われた繊細なレースで世界との関係を遮断しようとする)乙女、(その指で雪片のように儚い音色を奏でて言葉にする)ギタリスト。(ヴァニラの溜息をこぼす)甘い彼女の花の唇、(燻らせた紫煙を吹きかける)灰の吐息で侵食する彼の口。彼女の白い手に透ける碧い血管(まるで白い蝶のよう)、六絃琴をつまびく彼の指(まるで女と戯れているよう)。彼女の(貧血ばかり起こしていた中世のお姫さまみたいに)華奢な肢体を、彼は(残酷な神みたいに)摘みとろうとする。この恋がたとえすぐに消える虹であっても、いまだけは。

 

 「どうなってもかまわない」

 

 

 貴女。あなたでも貴方でもなく、貴い女(もちろん「おんな」ではなく「ひと」と読まなくてはいけない)と綴って貴女と、ぼくが乙女を囁くように呼ぶとき(それは彼女の耳には届いていないのかもしれないが)、かならずその文字の響きを脳裏に浮かべる。貴女のすべてが、ぼくにとっては《f》なんだ。このどんな言語も解体してしまう《f》という記号を灰色の世界の断片に見つけるために、おそらくぼくは生きている。だから、植物のごとき貴女。その肢体に樹液をめぐらせながら葉脈のごとき毛細血管の迷宮のなかに、ぼくをいざなってくれ。そこで貴女のなかに棲むミノタウロスのような怪物を発見したとき、ぼくはきっと涙ぐんでしまうだろう。そのときこれこそが《f》なのだと、ぼくは宣言することができる。

 

 彼方。ねえ、知っている? あなたでも貴方でもなく、彼方と綴って「あなた」と読むこともできるのよ。本来は「かなた」と発音してしまうこの漢字という文字のつらなりで、わたしはあなたを(彼方を)呼びたいの。彼の方、と書いて「あなた」。わたしの遮断された瞳は、いつも彼方の(かなたの)ほうに視線をめぐらせる花みたいにあなたを(彼方を)見ている。わたしにとって彼方は(あなたは)遠い星からの来訪者。そう、彼方から(かなたから)やってきたひとです。金属製の機械のなかに自分自身を閉じこめて、孤独な飛行のひとときの遊戯のなかで、星めぐりのなかで、わたしという天体をたまたま発見した。そこにはどんな意味もなかったのかもしれない。けれどもわたしはそこに《意味》を見つけてしまったの。

 

 ————ともに消えゆく虹となる、という夢をね。虹はきっと《f》という記号のひとつ。わたしに捧げられた記号のひとつ。

 

 

*『乙女とギタリスト』 伊藤裕美(mille-feuille)

 

 

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