天の球体は神さまの瞳

 

 夏が好きです。

 

 わたしは冬に生まれた。その年いちばんの寒さを世界が覆った日、空から雪の花びらが舞い降りた日に。わたしは冬の女です。それにもかかわらず、それだからこそ、夏に焦がれます。

 

 誰も彼もが日射病を患って倒れてしまいそうなあの季節には、白い粉のような《永遠》が浮遊しています。木の実のように跳ねる子どもたちの影が、一年でいちばん濃くなる季節。蝉が呪いのような恋を唄う季節。あの残酷に輝く太陽という《神》のなかにささげたものは、自分自身という供物。

 

 あまりにもおおきい祝福は、おなじだけの怨嗟になる。夏はそのことを、わたしに思いださせてくれます。

 

 夏が去るたびにわたしの影が透明に近づいてゆくような気がするのは、ただの錯覚なのかもしれません。けれどもわたしにとって、夏とは虹のようなもので、その不吉な美しさに魅入られているうちに一瞬で過ぎてしまうから、だから《夏》になりたいと祈るわたしの影が、虹のように消えゆこうとしていても、なんの不思議もないように思われます。

 

 夏の海辺でつくったわたしの夢。砂の城。それは現実の波にさらわれて、いつだって倒壊する。夏はいつも、あまりにもはやく過ぎてしまう。わたしは虹にはならず、つぎの季節の足音を聴く。わたしは毎年、夏に裏切られる。――それはわたしが《少女》のままでいられなかったことの、時間との約束でもあります。

 

 だから、夏が好きです。

 

 けれどもときどき、夏から脱出することができなくなり《少女》のまま時間をとまらせてしまうひとがいる。そこで夏が見せる白い粉のごとき《永遠》は、そこから抜けだして女になってゆく者にほどこす作用とまったく異なる様相として姿を現します。薬が毒になることもあるように、祝いが呪いであることもあるように。

 

 フランソワーズ・サガンの『悲しみよ こんにちは』は、《夏》に結晶化されて閉じこめられてしまった少女の物語です。そこで起きた悪夢は夜ごとのナイトメアとなって彼女を蝕む毒となり、彼女はその場所から永遠に抜けだすことのできない《夏》という季節にとらわれた囚人として、埋葬できなかった少女期を熱い球体を抱くように胸のなかで飼いならすしかできない。この球体とは太陽のことで、それは彼女が十八歳の夏に眩しく見あげたそれとは似ても似つかぬものに病み、衰退してしまった贋物の太陽です。

 

 秘密は少女を女にするものだけれども、稀に少女が少女のままでいつづけるための呪いとして作用することがある、とわたしは思います。

 

 ひとりの少女がおのれのなかに秘密をつくるとき、それまで知らなかった世界の非情な側面を知り、その冷酷な一瞥によって心臓が麻痺してしまうことがあると。彼女のなかの時間はとまり、そしてもう、もどることもできない。《少女》という迷路のなかから逃げだすことは不可能なのです。出口をとおり抜けて女となり前進することも、入口に身を翻して子供に後退することもできずに立ち竦むしかなく、それこそが彼女にくだされた罰であるのかもしれません。

 

 愛する父の恋人をただ困らせて遊びたかっただけなのに、その遊戯によって生涯癒えることのない疵を負ってしまった咎人へと夏が捧げた暗黒の太陽は、もう二度と寄せることのない波のように季節が去ったあとも彼女を監視しつづけ責めつづける巨大な目であり、それが消えないかぎり、彼女はいつまでも夏に閉じこめられたまま。贋物の少女のまま。

 

 夏の残酷さと甘美さに焦がれるわたしは、だからこの書物を愛し、これからも愛しつづけることでしょう。

 

 

 フランソワーズ・サガン/訳・朝吹登水子 『悲しみよ こんにちは』 新潮社

 

 

悲しみよこんにちは (新潮文庫)

悲しみよこんにちは (新潮文庫)