世界はわたしを裏切れない

 

 アイスクリームがまずいだなんて、世界の裏切りだと思う。

 

 アン・シャーリーこと、おわりにeのつくAnneは、はじめてアイスクリームを食べた感想を、こんなふうに表現した。


 「アイスクリームって、言語を絶するものだわ、マリラ。まったく崇高なものね」


 あまくておいしい氷菓子。それがよもやまずいことがあろうとは、誰も信じてくれない。それを知っているのはこの《わたし》だけ。信じられるのは自分だけ。


 だからセサル・アイラの『わたしの物語』のその題名は、《わたし》の「物語」なのかしら、とそんなふうに漠然と感じる。

 

 「わたしがどのように修道女になったか、お話しします。」とある《少女》であるわたしは語りはじめる。そうはじめに宣言しながら、つづくのは逸脱、逸脱。道はまっすぐではなく、いくつも枝分かれし、曲がり角をまがる。そうして《わたし》は幾度も裏切られる。しかし裏切られているのは《わたし》ではなく、読み手である「わたし」たちなのだ。


 「わたしは自分の生きる世界は信じる世界とはまったく別ものだと思っていました。」と、語り手はいう。


 《わたし》は誰にも裏切られない。

 だから世界にだって《わたし》を裏切ることはできない。

 

 自分が信じたものとのあいだにしか「裏切り」は成立しないし、だから《わたし》には、それは無縁の言葉なのだから。

 

 それでも《わたし》を裏切ろうというのなら、わたしのほうから世界を裏切ってあげる。

 

 この物語が描いているのはそういうことなのだろうか。


 はっきりいって「わたし」には、よくわからない。この書物を理解したとは嘘でもいえない。

 

 それでも理解できなくても好きになることができるように、わたしはこの物語に最後まで惹きつけられた。そしてやっぱり、盛大に裏切られてしまうのだ。


 危うくて幸福な、遠くに透けて輝くピンク。ストロベリーアイスが食べたい、と思う。

 

 


 セサル・アイラ/柳原孝敦訳 『わたしの物語』 松籟社

 

わたしの物語 (創造するラテンアメリカ)

わたしの物語 (創造するラテンアメリカ)