ガラスを花束にして

 

 期待はかならず裏切られると、『ベル・ジャー』という書物は繰り返し囁きかけてくる。

 

 人生とは不公平なものであることを、わたしは子どものころから知っていた。しかし誰にとっても不公平なものであることを悟ったとき、わたしは子どもではなくなった。


 「どんなものにも期待なんてしてはいけないよ」

 

 そう意地悪く囁いてくる書物にむかって、わたしは心のなかでいいかえす。

 

 「そんなこと、わたしだってとっくに知ってるわ」

 

 しかしそんなわたしを嘲笑うように、「ほんとうに?」と誰かが問いかけてくる声が聴こえるのだ。そしてこう訊ねる。

 

 「それならおまえは、なぜ生きているのだ?」

 

 そこに悪意はなく、ただただ不思議なこととして、わたしに疑問符を突きつけてくる。


 「明日への希望なしに、人は生きていくことなんてできない。だからおまえは、生きている以上、なにかに期待し、どこかに希望を抱いている」


 そのとおりなのかもしれない。

 

 わたしが生きているためには、どんなにちいさなものでもいいから希望が必要で、だからきっと、息をしている以上、わたしは無意識になにかに期待している。

 

 わたしは自分の心と頭を分析するように、そんなことを胸の内側でつぶやいた。


 希望という果実のなかの期待という甘い果汁が完全にしぼりとられ、それが黒く腐って朽ちてしまったとき、人は真夜中を疾走するように《死》にむかって失踪してしまうのかもしれない。そしてシルヴィア・プラスの死とは、そういうものだったのかもしれない。

 

 『ベル・ジャー』は、シルヴィア・プラスの自伝的小説で、彼女が唯一のこした物語だ。

 

 彼女の分身である語り手のエスターは、なにかに憧れてはそれが腐ってゆくのを目の当たりにし、なにかに手を伸ばしては、その手を拒まれ、すこしずつ心を凍らせてゆく。

 

 おそらくそれが《大人》になるということなのだろう。そしてエスターことシルヴィア・プラスは、永遠に子どもでいることを選んだ少女だ。

 

 希望なんてこの世界にひとつもないことを知ったとき、彼女は《真空》にむかって落ちてゆく。


 たしかに希望はないかもしれない。でもわたしは自分の希望を破棄したくはない。太陽のようにおおきな希望を。そしてその《希望》を美しい花を渡すように、大好きなひとたちに捧げたい。

 

 その希望がすぐに壊れてしまうガラスのようなものだとしても、それを花束にして。

 

 


 *シルヴィア・プラス/青柳祐美子訳 『ベル・ジャー』 河出書房新社 

 

ベル・ジャー (Modern&Classic)

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