乙女の散策/十誡

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 わたしたちはその光線で白い槍みたいに全身を突き刺す太陽に灼かれながら、都会という砂漠のなかを歩いていた。いくつも立ちならぶビルは、群生した巨大なお墓のようだった。それが誰を弔うものなのかも知らず、わたしたちはエメラルドの水の庭園から不意に釣りあげられてしまった二匹の魚のように、碁盤の目で築かれた整然とした都市の迷宮を泳いでいた。深海魚のように見知らぬひとたちとすれ違い、かれらがこの都市を遊泳しているのを横目に、わたしたちは干あがった砂漠の海で自由に息をすることもできない魚みたいに渇き、だからオアシスを求め、探していた。

 

 そのオアシスの名を十誡という。

 

 砂漠の海が割れて出現した道へと足をすすめながら、太陽の威力に敗北してアイスクリームのように溶けてしまうまえにオアシスに辿りつきたいと祈りつつ、薔薇の乙女とわたしはさきを急いだ。

 

 彼女にお逢いするからと、わたしは薔薇の首飾りをしていた。とても素敵だと乙女はいってくれ、無邪気にお礼をいったわたしの胸もとでよりいっそう誇らしげに輝いたその薔薇が、お守りのようにわたしたちをオアシスへとみちびいてくれた。

 

 ”好事家の書斎”を主題として地下室に構築された十誡というそのカフェは、完全に太陽から遮断された薄昏い闇の世界だ。重く閉ざされた扉をあけた瞬間、両性具有の天使が純白の(それは角度によって漆黒にも見える)翼を羽ばたかせながら舞いおりてきてもおかしくないような、そんな場所。夜を切りとったかのごときコルセットを装着した麗人が恭しく出迎えてくれ、この空間に満ちる静寂を壊さないようにと配慮の行き届いた囁き声でわたしたちを革張りのソファーに案内してくれる。

 

 わたしは宮沢賢治をイメージしてつくられた星めぐりというモクテルを、薔薇の乙女はローズレモネードを注文して、運ばれてきた硝子のなかに浮かぶ美しき小宇宙をまえに陶酔と感激のため、ためつすがめつ眺めて、なかなか口をつけることができなかった。

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 わたしの「星めぐり」には星々の煌めきが閉じこめられていた。

 

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 薔薇の乙女のローズレモネードには本物の薔薇が溺れていた。

 

 

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 このカフェの(館の、といったほうが正しいかもしれない)壁は一面に書架になっており、客人は自由にそれを読むことができる。澁澤龍彦の『犬狼都市』がおさめられているような本棚だといえば、書物の傾向はだいたいご想像いただけると思う。

 

 倉橋由美子の『聖少女』を読んで、作中のモンクという暗黒喫茶に憧れたひとはぜひとも一度訪うべき場所だとわたしはかねてから思っている。

 

 

 “このモンクはあたしが好きなようにつくったお店です。あたしのお城でした。(中略)店内は中世の修道院風に、暗く陰惨に装飾しました。壁にはブリューゲル、ヒーロニスム・ボス、ポール・デルヴォー、パルテュス、チャペラ、サルヴァドール・ダリなどの複製画をかかげ、死神のもつ錆びた大鎌、一時間ごとに死刑執行人があらわれて囚人の首を斬りおとす仕掛けのまがまがしい時計、各種の鞭、いばらの冠などを吊しました。できることなら鉄の処女をはじめとする中世の拷問器具をとりそろえたかったのですけれど。さて、カウンターのうえには魔女が使うという大きな水晶の球(もっともこれはガラスでつくられた模造品です)をすえ、そのむこうに髪の長い妖しい女が二人、ときには焚刑をうける魔女のように、ときには何匹もの悪魔が体内に棲みついている尼僧のように、ものもいわずに狂気の瞳をこらしてコーヒーをいれている。そして彼女たちはたがいにレズビアンの仲であるようにみえる……(中略)ボーイがひとり。かれは美しい天使でなければなりません。それも森永の幼児的エンジェルではなく、らおやかな青年でかつ端正な少女、つまりアフロディテの乳房と清らかな葉巻形のファロスの両方をそなえた両性的天使でなければなりません。この天使は天井にとまって休んでいて、お客がくるとその純白の翼で舞いおりて、少量の毒薬媚薬をまじえたまっ黒なコーヒーや悪血をしたたらせた酒を運ぶ……”

 

 

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 書物と密談し、カクテルに閉じこめられた星々の秘密の囁きに耳を傾けることのできるこの美しい空間に、在りし日を『聖少女』と過ごしたという薔薇の乙女とともに。

 

 

 

聖少女 (新潮文庫)

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聖少女

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