冷淡

 

 

 わたし、優しいのに冷たいといわれたことがあります。

 

 冷たいのに優しい、だったらそれは良い意味なのでしょうけれど、優しいのに冷たい、だったら明らかに皮肉が混ざっていますよね。

 

 それから饒舌なのに寡黙とか、博愛主義者なのに好き嫌いが激しいとか。そしてその言葉を否定できないところが、わたしのかなしいところです。

 要するにわたしという人間は、どこかに冷淡なところがあるのでしょう。あなたはきっとその冷淡にこそ無邪気さが潜んでいるのだと、そういうでしょうね。

 

 女の無邪気さというのは自分たち男にとって永遠の憧れであるとともに、まったく理解できない恐ろしいものでもあるのだと、あなたはいいます。

 

 そこに計算や悪意があるのならば、考えていることや企みにも見当がつくけれど、無邪気というのは男が振りかざす「理屈」の手には負えなくて、そして往々にして理屈を大切にするひとは支配欲が強く、しかし無邪気はまさに支配とは対極にある存在。どうしても手に入れたい相手が思いどおりにならないから焦れておかしくなってしまう者がいると、そういうお話でしたね。

 

 そういった意味で女の無邪気さというのは、男を破滅させるものとしての怖さがあるのだと。

 

 無邪気さとは男のひとにとって、おのれを破滅へとみちびく囁き手としてのファム・ファタルであることなど、考えてみたことすらありませんでした。だからこそ、無邪気な女の心は冷淡でなければならない。

 

 誰にとっても「運命の女」にはなれそうもないし、またなりたいだなんて夢にも思わないわたしだけれど、もしかすると無邪気さならば潜在的にもっているのかもしれないと、あなたのお話を聞いていて、そんな気がしてきました。


 わたしはきっと、冷淡な人間だから。

 

 

 

 (Kに宛てたいつかの手紙の断片から、15)