嵐が丘へかえる

 

 

 エミリ・ブロンテの『嵐が丘』をわたしは子どものころから愛していた。

 愛してはいたけれど、わたしはその世界を理解してはいなかったと思う。


 「わたしはあの子で、あの子はわたしなのよ!」というキャシーの魂のような叫びを、わかっていなかった。

 

 自分自身のことをヒースクリフそのものだとまでいいながら、その心に従わず、背いてしまった愚かさのために生まれるかれらのひずみのまえで、わたしはただの傍観者に過ぎなかった。恋人たちは《運命》という重力をまえに敗れる。引力によって惹きあうS極とN極であったふたりは、斥力によって引き裂かれ、《死》というこの世界の重力圏から逃れることで、ようやく結ばれることができる。その小説の力学を、わたしは楽しむだけだった。


 『嵐が丘』を最後に読み返したのは、たしか三年まえのことだ。そのときもわたしは、ただ力学を味わうことに重点をおいて、この小説を読み終えた。

 

 しかし当時のわたしといまのわたしとでは、なにかがほんの少し異なる。エミリが荒野に出現させた彼女の《天国》を多少は理解できるような気がしているのだ。《予感》といってもいいかもしれない。わたしの心はいまきっと、この書物を欲している。いまだから読みたいのだと、わたしに訴えている。

 

 それを認めたときから、わたしはこの小説を読み返そうと決めた。それに対する準備も、わたしなりに進めてきた。その「準備」が完全に終わったとき、それが嵐が丘のあらしに、わたしが再会するときなのだろう。


 まず、『嵐が丘』に読むときに聴きたいBGMのリストをつくった。

 ケイト・ブッシュの天使とも悪魔とも感じさせる歌声、川井郁子さんのヴァイオリン、久保田恵子さんのピアノ……。

 


 ケイト・ブッシュの『Wuthering Heights(嵐が丘)』をわたしが知ったのは、いつのことだっただろう。とても幼いころ、あの甘い声で紡がれた異国の歌に、耳の奥の大脳のくらがりまで直通で届くような衝撃を感じた。その歌声は執拗にわたしにむかってなにかを訴えかけ、なにかを懇願しているようなのに、彼女の言語を理解できない自分をかなしく思った。

 

 しかし彼女の声はわたしの耳にこびりつき、わたしはそれを天使の声だと信じた。天使でなくてもいい。神さまでも、悪魔でも、とにかくこの世のものではないなにかが、この声の持ち主のからだのなかには棲んでいるに違いないと感じ、ケイト・ブッシュという彼女の名を大切に胸に刻んだ。

 

 それなのに長いこと、わたしは彼女のことを忘れていた。それを咎めるように、永遠の半ばを過ぎるみたいに十代の半ばを過ぎたころ、ある日突然古いレコード屋のスピーカーから彼女はふたたびわたしを呼んだ。

 

 気づいてほしいと切実に、情熱的に、自分の存在を主張するようなその声は、どこかに時間をとめて封じこまれていたかのように子どものころに聴いたときと変わらない声だった。

 

 『Wuthering Heights』。嵐が丘

 

 時を経てわたしははじめてその曲の題名を知り、そして古代の地図に眠った財宝のありかを突きとめるように、彼女の言葉を解読しはじめた。

 


 

 風の吹き騒ぐヒースの荒れ地で転がりながら
 繁る緑のなかに姿を隠したわね、わたしたち

 あなたの激情はわたしの嫉妬と似て
 あまりにも情熱的で、貪欲すぎた

 どうしてわたしから離れることができたの?
 あなたをわたしだけのものにしたかったのに
 すごく憎んだわ。それなのに愛しい

 悪い夢を見たの。わたしの敗けだと人はいうわ
 風の吹きすさぶ、あの嵐が丘をあとにして

 ヒースクリフ、わたしよ。キャシーが帰ってきたのよ
 とても寒いの。窓からわたしを入れて

 ああ、暗くなってきたわ。とても淋しいの
 あなたと隔てられた「こちら側」の世界から激しく焦がれ
 多くのものがあなたなしでは崩れ落ちるのだと知った
 あなたの愛に還りたいの、残酷なヒースクリフ
 わたしのただひとつの夢、ただひとりの征服者

 この夜をあまりにも長いあいだ彷徨いつづけている
 あのひとのもとで、またやり直すために
 ふるさとへ帰るのよ。風がむせび泣く、あの嵐が丘

 ヒースクリフ、わたしよ。あなたのキャシーが帰ってきたのよ
 とても寒いの。窓からわたしを入れて

 そう、欲しいのよ。奪い去りたいの。あなたの魂を
 ああ、どうかわたしのものに。あなたの心を盗みたいの
 わかるでしょう。わたしよ、あなたのキャシーなのよ

 ヒースクリフ、わたしよ。キャシーが帰ってきたのよ
 とても寒いの。ねえ、お願い。わたしをなかへ入れてちょうだい……


 

 この歌の意味をつたないながらにも解釈できたとき、「彼女」はこのわたしではなく、彼女のただひとりの愛しいひとであるヒースクリフ、唯一の例外をのぞいておのれに近づく者たちを激しく拒絶する、生い繁ったヒースのように荒涼とした精神をもった、半神半人的な怪物のような男に呼びかけていたのだと知った。


 そうとわかった瞬間、わたしの目からは涙がこぼれていた。亡霊となってなお恋人の魂を奪うためにこの世を彷徨っている女と、亡霊でいいからもう一度恋人に逢いたいと願っている男の愛の物語はわたしにはあまりにも馴染み深く、ケイト・ブッシュのその歌が、太陽がいっきに燃えつき、あとには墓が残っているだけというかたちで終わった小説への鎮魂歌であったことに気づいたからだ。


 それは登場人物たちにではなく、岩と荒地の「嵐が丘」という舞台、そこに棲む地霊に捧げられている。


 ヒースクリフとキャサリンの壮絶な愛も、あるいはその地霊に捧げられたものだったのかもしれない。あれは地霊を満足させるための古典劇だったのかもしれない。そうであれば、太陽に近づきすぎてしまったがゆえに人間たちは死んでも、その地霊が生きているかぎり、そこに染みついた狂気が完全に鎮まることはない。


 その地霊に呼ばれて、亡霊たちは幾度も嵐が丘にかえるのだ。

 

 このわたしも、油断したら鋭いナイフみたいにこちらの指先を切りつけ、そこから流れる血を養分としてさらに肥えようとしている書物のなかに、地霊の物語のなかに繰り返しかえってゆく。呪われた血と灰色の土地に魅せられたエミリ・ブロンテが、その場所に自分の天国を築くために綴った、この災いと幸いが刻まれた物語のなかに。

 

 


 キャシーは、「わたしはあの子で、あの子はわたしなのよ!」と、ヒースクリフという男のことを絶叫に近い訴えで説明した。だから――とわたしはより深く思考の渦のなかに溺れてみる。かれらがおなじ魂をもちながらそれが分離されて、異なる性別をもつふたりの人間として生まれたために運命の悲劇があったのだとしたら、ケイト・ブッシュの歌の文面をヒースクリフの心情だと解釈することも、また可能なのではないか。そうすると、まるで世界がさかさまに裏返しになったように、歌詞の意味が変わってくる。


 

 ヒースが乱れて吹きすさぶ荒れ地で
 おれたちは緑の繁みに転がり墜ちた

 おまえの癇癪はおれの嫉妬とおなじで
 血のように燃えて、狂うほどに業が深かった

 おれから離れていくなんて、どういうつもりだ?
 おれはおまえの必要なときだけのものだったのか?
 激しく憎んだ。愛してるから

 夜の悪夢では、負けたのはおれだともっぱらの噂だった
 おれが捨て去った、風の吹き荒れるあの嵐が丘



 こうして訳してみると、この歌はキャシーの激情にもヒースクリフの心情にも、そのメロディを聴く者の自由に解釈できるようになっていることに気づく。これも「いまになって」ようやく到達した理解のひとつだ。


 川井郁子さんのヴァイオリン、悪魔的な男に捧げられた音色は、わたしには張りつめた糸が見えるように感じられた。それは、《運命》の糸だ。ふたりを出逢わせ、別離させ、また巡りあわせては、引き裂いた、その悲しみの糸。

 

 あなた、わたしから離れられるとでも思っているの? ほんとうに? と言葉をつかわず調べだけで男に問いかけ、挑みかける、女の自信。そう、それは確信といってもいい。わたしはあなたで、あなたはわたしなのよ! その高らかな声がきこえてくる。わたしたちは永遠にいっしょなのよ。たとえ、死がふたりを分とうとしても、わたしがあなたの心に棲みつづけるかぎり、あなたはわたしから、離れることはできない。

 

 実にキャシーらしいと感じた。この音色が彼女からの「言葉」なら、ヒースクリフは爆発するような喜びに胸を震わせるに違いない。

 

 久保田恵子さんの『エミリ・ブロンテのピアノ』は、嵐が丘という物語ではなく、その荒野、そこに夢を視ていた著者、エミリ・ブロンテに捧げられている。

 

 ちいさなご本にはエミリの詩と、彼女が生きた時代、彼女が抱いた夢想、彼女が諦めた希望が美しく綴られ、それを読むわたしの目からは、やっぱりぽろぽろと涙がこぼれた。エミリの生涯を知ってはいたけれど、文章として読んだとき、そこにこめられた著者のやさしさに、エミリに共鳴するわたしまでも慰められているような、心の豊かさ、のようなものを感じた。

 

 そうやさしさ。

 

 ご本に添えられた音楽からも、それは感じられた。あの激しい嵐のような作品を遺したエミリ・ブロンテを想って奏でられた音色だから、わたしは稲妻のようなピアノの調べが流れてくるものとばかり思っていた。しかしそれはどこまでもやさしく、慈しみに満ちていた。その音に繰り返し耳を傾けながら、わたしは唐突に悟った。このピアノは、エミリの孤高さを、孤独さを、いつくしんでいるのだと。だから「エミリ・ブロンテに捧げられた音色」なのだと。わたしのなかに棲むエミリは、それを知ったとき、やっぱり泣いてしまった。


 準備といえば、いつぞやのバルテュス展で購った『嵐が丘』の挿絵のポストカードを、ここのところ毎日眺めている。けれどもいい加減、この文章も永くなってしまったので、その話はまた、機会があったら。――いまはただ、地霊が束の間の眠りについた風の吹き荒れる嵐が丘で、転がりながら繁る緑のなかに姿を隠して遊ぶ恋人たちが、いつまでもお互いから離れることのないように。

 

 

 

 

嵐が丘 (新潮文庫)

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天使と小悪魔

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嵐が丘(通常盤)

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