男ならば破滅を望んで

 

 

 三島由紀夫の『春の雪』が自分にとっては理想の恋のありかたなのだと、あのひとはいった。

 

 男は女を愛した瞬間から、その「愛」が破滅することを望む生き物なのだと思うが、そんなふうに感じるのは自分だけなのだろうか、とそうつづけた。

 

 いいえ、きっとそうではないと、わたしは思った。

 

 あなたのいうように、男とはそういう生き物なのでしょう。

 

 『春の雪』の松枝清顕だって、『嵐が丘』のヒースクリフだって、おそらくは破滅することを望んでいたのだ。ただ愛のために。

 

 ヒースクリフ

 

 エミリ・ブロンテが荒野のなかで生みだした、あの半人半神的な怪物のような巨人のような悪魔的な男の名前が、なぜここに突然登場するのかというと、わたしは『春の雪』と『嵐が丘』という作品の骨格に、松枝清顕とヒースクリフという人物の遺伝子に、共通のものがあると感じるのだ。骨や心臓に組みこまれた、ある欲望を嗅ぎとるのだ。

 

 その欲望とは、托卵みたいなかたちで寄生した子どもが、「王」にとってかわろうとする「王殺し」の物語として姿を現す。しかし彼らがほしかったのは王位でも王冠でもなく、ただひとりの女、ただひとつの愛であり、それが成就しないことこそが、彼らを女に、愛に縛りつけている。

 

 愛とはけっして叶ってはならず、そうして「運命」に敗北するほど、「悲劇」の光芒を放つほど、恋人たちはそこから一歩も動けなくなる。お互いしか見えなくなる。

 

 あのひとは破滅を望むといった。

 

 それはおのれのなかにある《愛》を、それが生きていて、まだ生きていることを望んでいるうちに殺害してしまいたいと、そういうことなのだろうか。そのもっともやわらかい部分に刃をあてて動脈を切断し、そうして流れてゆく血のなかで、自らのいのちさえも奪ってほしいと、その「破滅」という言葉には、そんな願望がこめられているのだろうか。

 

 そうであるならば、その気持ちは痛いほどに理解できる。

 

 愛は成就してはならない。それが「愛」であることを望むなら。

 

 

 

 *三島由紀夫『春の雪』
  エミリ・ブロンテ『嵐が丘

 

 

 

 

春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)

春の雪―豊饒の海・第一巻 (新潮文庫)

 

 

 嵐が丘は田中西二郎さんの訳のものが好きです。

嵐が丘 (新潮文庫)

嵐が丘 (新潮文庫)