空のかなたにいる誰か

 

 

 「東京には空がない」と高村智恵子はいった。

 「私のなかで女性名詞の海が亡ぶとき、私ははじめて人を愛することを知るだろう」と寺山修司はいった。

 

 

 「わたしはね、空は男のもので、海は女のものだと思っているの」

 「なぜ?」

 「なぜって聞かれたら、こう答えるの。空はフランス語では男性名詞で、海は女性名詞だからって」

 「それだけ?」

 「もちろん、それだけじゃない。男たちの想像のなかで、女は人魚やセイレーンになるしかないけれど、男は精神を鳥に変えて縦横無尽に空を飛びまわり、ときには蹂躙してしまうのだから」

 

 そんな会話をいつか、あのひととかわした。


 女はおのれの《海》のなかで、愛する男を溺れさせたいと願う。天翔けるその翼を水で浸して、自分の引力圏内から脱出することのないように望む。

 

 けれどもどこにも行かないでほしいと女が乞うほどに、男は《愛》という呪縛から解放されることを渇望するようになり、愛していたはずの女から遠ざかることを切望し、その重力をふりきって《空》にむかって羽ばたいてしまう。

 

 ある日突然、男はたったひとりで、雲のなかにあるという城を目指して飛翔する。それが「さよなら」の合図。

 

 空と海は、とこしえに見つめあいながら永遠にまじわることはない。

 

 

 東京には空がない。

 

 あの愛の歌を知ったとき、わたしがとっさに思い浮かべたのは、子どものころに読んだ『親指姫』だった。

 

 「空」を諦めきれなくて、もぐらとの生活を拒んだ花びらのような女の子のお話。もぐらと結婚することは空を失うこと。それはそんなにかなしいことなのかと、幼いながらに感じたことを、わたしは覚えている。

 

 土のなかという「地下都市」で空と隔てられても、きっと幸福に生きていくことはできる。しかし親指姫には「空がない」ことは耐えられないことだった。彼女は逃げる。太陽の光を彼女から遮断しようという蜘蛛の巣の罠のような婚姻から。

 そしてつばめの背にのって《空》を渡り、たどりついた南のうつくしい花の国で、自分だけの伴侶と出逢う。

 

 彼女は自分の空を見つけた。

 

* 

 

 「空を失うということは女にとって、自分の心のなかに棲む男、すなわち神さまのような存在を喪うことを意味しているのかもしれない。男にとって海を失うことが女を喪うことだとは到底思えないから、なんだか不公平よね。男にとってなによりも怖いのは、きっと自分の《空》という理想を喪うこと。男は理想のために生きることはできても、愛のためには生きることはできない。男が愛を選んだとき、そこには破滅しかない。そんな気がするの。

 

 わたしのような女のなかにも、《海》はあると思う? もしもわたしが海ならば、冬の海になりたい。誰からも忘れ去られているような、雪の海。不機嫌な曇天の夜明け、鉛色の淋しい海岸、荒々しい唇のようにめくれあがる白い波、そのうえに落ちてくる天女の涙のような雪。

 

 ごめんなさい。まるで少女趣味の詩みたい」

 

 無意味な言葉を羅列しながら、わたしは少しだけ哀しい気持ちになって、落ちこんでいた。理由は自分でもわからなかった。あのひとはこういって慰めてくれた。

 

 「ぼくがいちばん好きな海は、冬の海だよ。見捨てられて美しい雪の海岸だ」

 

 

 空はどこにもない海に似ている。

 

 じっと目を凝らしていると、眩しさのあまり暗黒に似た太陽の光に眩暈を感じる。あの空の果てに、いつか出逢うはずの誰かが佇んでいるような予感を覚える。あるいはもう出逢ってしまったはずの奇跡に震える。彼方からやってくるもの。彼方からやってきたもの。そのひとはわたしだけの《空》になってくれるでしょうか。

 

 


 *アンデルセン『親指姫』
  高村光太郎智恵子抄

 

 

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