乙女椿の色した夕空

 

 燃えるような夕焼けの黄昏の空を眺めるとき、いつも無意識にあの子のことを考えている。わたしが乙女椿と呼ぶ少女のこと。あの子がはじめてわたしのおうちに遊びにきた日の翌日、その夕方、わたしはやっぱり夕焼けを見ていた。世界を祝福しているような色に染まった、あの黄昏を。

 

 束の間の夢みたいなその色は、珊瑚のようで妖精の翅のようで、だから乙女椿の甘やかな花びらとおなじ色だった。つまりあの子の爪のごとき色で、それはあの子が少女であることのあかしみたいな宝石のごとき爪だった。少女という生き物はその身の内に、すばらしいジュエリーをたくさん所有している。黒曜石の瞳もそう、真珠色の歯だって、蛋白石の皮膚だってそうだ。少女は宝石からできている。

 

 だからわたしは夕焼けを見ながら、わたしの《少女》を想った。乙女椿のあの子の白い指が雲の合間から見えるような気がして。

 

 その手がすべてを語っていると、わたしは思う。あの子の手は内側から青白く発光し、彫刻家によって彫りあげられた指先と、そして神技をもちいて研磨されたに違いないあの爪。そんな手をもつ者にふさわしく、あの子が笑うと、かすかな薬草の苦みと、勿忘草が内包する世界に対する潔癖さ、乙女椿の花の複雑さがある。

 

 綿飴のようにふわふわした甘くて口のなかで溶けてゆくような時間を過ごしたあとのちいさな淋しさのなかで、わたしはあの子をそんなふうに反芻したことを覚えている。


 雨が降ったら『雨ふり』を歌ってね。傘をもってわたしが迎えにいくからと、それがあの子とのはじめての約束だった。ともに叶えたい願いがあっても、わたしたちはめったに約束はしない。いつか達成できたらいいことは、その願いを《希望》と口にすることを暗黙の了解として、「約束」という言葉は使わなかった。それがわたしたちなりの流儀だったから。

 

 わたしは雨が好きだけれど、雨はあの子のからだに悲鳴をあげさせる災厄だと知ってから、雨がふるとあの子を想いだすようになった。あの子のためにはやくお空が晴れればいいと祈るようになった。

 

 あの日、やっぱり雨が降っていた。わたしは迎えにいくわね、といって菫色の傘をもって家を出た。あの子に辿りつくまえに、雨はやんだ。わたしの祈りを、空にいる誰かが聞き届けてくれたのかしら。雨、やんじゃったわね。わたしたちは笑いあって、そして歩きだした。わたしたちの《おうち》にむかって。

 

 乙女椿の色に染まる夕空を見て、あの子と過ごした羽のような軽やかさで飛んでいった時間の余韻に想いを馳せるとき、あの雲間のなかの《少女》の指は、わたしにとってあの子の指になる。あすはまた、誰か異なるひとの指かもしれない。でも夕焼けが乙女椿の色をしている日、それはいつもあの子の指となる。

  

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