みどり・あお・くれなゐ

 

 

 澁澤龍彦書物に『少女コレクション序説』という題名のものがあるけれど、かれに負けず劣らずわたしが《少女》を心にある扉の内側に蒐集しているのは、親しいひとたちのあいだでは周知の事実だ。わたしのなかには城がある。そこで「彼女たち」は眠りに就いている。美しく豪奢な四つ足の巨大動物みたいな寝台で、木洩れ日の光射す庭で、あるいは夜を切り取ったような色の棺のなかで。

 蛹であり、すでに孵化したあとの抜け殻でもある彼女たちは、わたしのなかで眠りつづける。瞳を閉じた貝殻のようなまぶた、薔薇色の頬と、そこから舞いおちた花びらのような唇。なんて美しいのだろうと、わたしはいつも、惚れぼれとしてしまう。

 

 そんなわたしに、あるひとが問いを投げかけた。

 

 「少女と女のあいだには乙女という名前が用意されているけれど、それならば少年と青年のあいだに横たわる時期のことを、あなたならばなんといいますか?」

 

 むつかしい質問だった。わたしがまっさきに思い浮かべたのは、倉橋由美子がその小説のなかで「青年とは少年と老年のあいだにある侮蔑的な一時期」だといっていたことだった。

 

 「そうね、若葉の少年時代がすぎてのち、われ、紅葉となりにけり。少年がみどりならば、青年はくれなゐね。少女が透明なら、女が赤であるように。それになんと名前をつけていいかは、わからないけれど」

 

 わたしはそうお返事した。

 

 若葉が染まり紅となり、あるいは黄色く色づいて、落葉となる。若葉が少年なら、紅葉は青年。それならそのあいだの一時期は、「あおば」とでも呼ぶべきなのかもしれない。青い葉の季節。そして青い羽が自分の背中にあることを、若葉のころに気づいた少年たちが迎える季節。

 

 あおば、青葉、青羽。

 

 選ばれた若葉しか《あおば》にはなれない。その段階を踏まずにくれないゐに進んで、そしてきっとすぐさま枯れてしまう者もいる。青年になるまえの奇跡的な跳躍によって自分の背に羽があることに気づき、青い時代を飛びゆくかれら。空を飛ぶ男。わたしは永遠のあこがれの眼差しを、かれらの背中にそそぐのです。