ユディットの末裔

 

 

 わたしの《少女》たちにいつか、清原なつの著『花図鑑』のなかに収めらている、あるお姫さまのお話をしたことがある。この話をはじめて読んだのは十年ほどまえになると思うけれど、いまでも強烈に覚えている短編漫画で、それなのにわたしのいつもの悪い癖のために話のところどころを自分の頭のなかで創作してしまっているような気もする。ひとむかしまえに一度だけ目で触れた物語だけれど、しかしおそらく、大筋はこのような感じだったと思う。わたしの《少女》たちにお話ししたとおりに、ここに記しておく。


 

 あるところにお姫さまがいるのよ。彼女は十代の終わりを迎えている。身分の高い者としては、もうとっくに相応の伴侶がいなくてはならない。でもなぜかしら。姫と結婚しようという相手は、いつも結婚式の夜に姿を消してしまう。さまざまな噂がながれるわ。「きっと姫のなかに男は、あるおぞましいものを見て、姿を消したのだ」とね。心配した父親が、懲りずに縁談をもってくる。姫はめあわせる男に肯定も否定もしない。そして男は「消える」。あるときね、姫の心が動いた。ある男を見たとき、このひとと出逢うために生まれたのかもしれないと思った。今度こそはうまくいく。父親はそう思った。しかしそのひともやっぱり「消えた」。

 

 からくりはこうなの。姫は、自分以外の人間に自分を捧げることが我慢ならない。だからおのれの肉体を奪おうとする男を、そのまえに殺し、ひとりで桜の樹のしたに死体を埋めた。愛する男があらわれたとき、このひとになら身を捧げてもいいと思った。けれども「ひとつ」になったとき、やっぱり絶望しかなかった。「わたしはわたしだけでこの世に立ちたい。たったひとりで存在していたい。誰の介在も受けたくない」。そう、それで姫はやっぱり愛するひとまで殺してしまった。桜のしたに埋めた「愛」。百年ののち、その桜のしたから、白い骨が発掘された。百人の男の骨だった。

 

 

 わたしには、このお姫さまの気持ちが、よくわかってしまった。苦しいくらいに理解できた。

 

 ユディット・コンプレックスという神経症がある。

 

 男に自ら身をささげながら、おのれを「汚した」男を憎み、無意識に殺害したいと願うようになるコンプレックスのことで、男に「穢される」ことで相手を傷つけようとする症状であり、由来は旧約聖書のユディト記の逸話がもとにされている。

 

 かまきりの雌は種族の子孫繁栄のための行為をおこなったあとで、雄を食べてしまう。本質的にこのお姫さまもユディットもかまきりなのだろう。そしてわたし自身はどうなのだろうかと、清原なつののこの話を想起するたびに自分自身に問いかける。わたしにもかまきりの心がないとはいえない。わたしだけでなく、女は潜在的に誰でも、かまきりの心をもっているのかもしれない。そんな気がする。

 

 

 *清原なつの『花図鑑』 ハヤカワ文庫JA

 

  

花図鑑 1 (ハヤカワ文庫JA コミック文庫)

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花図鑑 2 (ハヤカワ文庫JA コミック文庫)

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