命短し恋せよ乙女/弥生美術館

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 もうかれこれふた月近くまえのことになってしまうのですが、弥生美術館で開催されている「命短し恋せよ乙女」展へ足を運んできたのです。

 

 おそらく心に少女や乙女を心に飼っている者にとって、あの美術館へと訪うのはひどく楽しく美しい時間なのではないでしょうか。少女や乙女を心に飼っているかどうかはともかく、わたしにとってもそれはとても甘やかな時間です。

 

 あたかも竹久夢二美人画から彷徨いでてきたのではないかと思ってしまうような女の子たち――彼女たちの「上級者」は実際にこの美術館の《顔》である夢二に敬意を表して着物を纏っています。――とすれ違うだけで胸の内側が華やぎ、スキップしたくなるような軽やかさをわけていただいたみたいな気持ちになるのです。

 

 弥生美術館は少女と乙女(を心に飼っている者)たちのつどう場所。

 だからわたしもこのときとばかりに、少女で乙女なわたしになります。なりたいと自分自身に祈るのです。

 

 そして「命短し恋せよ乙女」というその主題はそんな美術館の趣旨と重なり、まるでミルフィーユのごとき繊細な、秘密めいた空間を出現させていました。入場してすぐに流れてくる『ゴンドラの唄』の音色。熱き血潮の冷えぬ間に明日の月日はないものを、と声にださずにくちずさみながら、わたしは展示から展示へくるくるとダンスするように廻り、《乙女》たちの内緒めいた囁きにじっと目を凝らしていました。

 

 大正時代の《乙女》たちが織りなす恋の物語が美しく妖しくからみあい、むすばれ、ほどかれ、もつれ、こんがらがった、見えない赤い糸で綾なされた空間。柳原白蓮松井須磨子長沼智恵子原阿佐緒……。大正時代の恋事件の中心に君臨した彼女たちの愛言葉(誤字にあらず)に耳を傾けているのは、ほんとうに愉しいことで、なかでもあらためて平塚らいてうが大好きだと感じました。心中未遂事件を起こした彼女は愛に殉じようとしたのではなく、「死」というものを知らず、知らないことを理解したかっただけ。真実の《愛》に出逢ってのちは、そのひとと生きたいと希った乙女である彼女の、オリーヴの樹みたいにこまやかに枝を繁らせた神経が、わたしはとても好きだと思うのです。

 

 そしてマツオヒロミさんが描かれる乙女たちの妖艶なことといったら!

 彼女たちは誰にも打ち明けるつもりのない秘密を心の扉の内側に隠し、隠していることさえ相手に気づかせることなく、しかしふとした拍子の流し目に謎めいた意味が潜んでいる。素晴らしく魅惑的で、自らの扉のなかで飛びかう一匹の悪い虫を微笑みにかえて美しい女になってゆく、そんな乙女。絵葉書ももちろんお迎えしました。

 

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 そして高畠華宵の人魚の美しさにも酔いしれる。

 

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 最後は港やで夢二から連想された「夢のあと」という名のカプチーノとチョコレイトケーキを。

 

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 いのち短し恋せよ少女 黒髪の色褪せぬ間に 心のほのお消えぬ間に 今日はふたたび来ぬものを。――《今日はふたたび来ぬものを。》というこの言葉、わたしも肝に銘じたいと、つくづくと感じています。