昼も夜も、夢に遊ぶ病

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 昼も夜もなく昨日も明日もなく、夢に遊ぶ病。蝙蝠の時間が墜ちてくる白昼。銀箔に瞬く真夜中。そこに架空の国がある。自分自身が夢の王たるその王国は、うつつの経験が脳に蓄積され処理し残した記憶からできている。けれどもそれだけではない。

 

 変幻自在、縦横無尽。

 

 望んでも望まなくても我というかりそめを赤裸々に脱ぎ捨てた空間では、どんなことでも起こりうる。おのれの墓石を見ることも、ミノタウルス的な怪物に変身することさえも。そこに安らぎと慰めを見つけることがあるのは、どんな夢も現実の悪夢よりはやさしいのだと、知っているから。

 

 ――ミシェル・レリスの『夜なき夜 昼なき昼』は、そんな書物


 これをわたしに薦めてくれたひとは、きっとわたしのなかに潜在する「夢に遊ぶ病」を見抜いて、この本を差しだしてくれたのではないかと、そう感じる。本書を読み返すたびにわたしはレリスにひとごとではない眼差しをそそいで、その文章を目で追ってゆく。


 幼少のころから感じやすい心をもったレリスは、いつか誰にでも等しく訪れる死の、その「いつか」に苦悩しつづけ、かつて誰もがそこに希望を抱いたはずである愛の、その「かつて」に絶望した。

 

 死の顎はかれを噛み砕こうと、おおきく口を開けて待っている。
 愛の果実は猥褻で神聖なあの性の儀式によって汚れてしまった。

 

 とても生きてはいけない。この世界では。

 

 だからかれは、夢の日記を綴った。それはおのれの精神を分析する自己治療であるとともに、夢の王国のなかに君臨する《王》としての自分の「もうひとつの人生」を記録しておくためでもあった。

 

 目醒めて眠る。まぶたを開いたときが現実で、閉じたときが夢などと、誰が決めたのだろう。

 ただひとつだけいえること。それは「現実」とは永遠に覚めることのない夢であるということ。

 

 どんな夢も、いつかは終わる。だから甘美な戦慄と畏怖の旋律を、わたしたちのまえに奏でてくれる。だから夢はいつも、清らで尊く、恐ろしい。

 

 「覚める」夢がわたしたちにあたえられたのは、ひとつのさいわいなのかもしれない。この強迫観念と追憶の絡まり、ミルフィーユみたいに幾つもの断層からなる残酷な悪夢宇宙を綴ったこの書物を読めることが、そのさいわいの一種であるように。

 

 

 

 *ミシェル・レリス/細田直孝訳 『夜なき夜 昼なき昼』 現代思潮新社

 

 

夜なき夜、昼なき昼

夜なき夜、昼なき昼