志田良枝展 「水彩庭園」

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 記憶の屋根裏部屋からこの展覧会のことを想いだすとき、あれからもう半年ほどの月日が流れていることに驚かされる。四月のある日、吉祥寺のギャラリーイロで開催されていた志田良枝さんの個展、「水彩庭園」におうかがいしたときのことです。

 

 この展覧会のご案内のお葉書を偶然目にする機会があり、そのときわたしの胸を襲った騒めきが、このひとの描いた絵を見なければいけないと命じました。まるで一種の催眠術のようなものです。わたしはある暗示にかかり、スケジュールを確認して、四月二十二日にしるしをつけました。

 

 この日にかならず訪ねさせていただこうと、固く決意しました。こんないいかたは大袈裟でしょうか。けれどもあまり自由をきく肉体をもっていないわたしは、ほんとうに愛するもの、魅いられたもの、この目に映したいと感じたもののためにしか、足を運んで出向くということを、あまりしないようにしています。そうしたものにさえも時間をつかうことができなくて、かなしい気持ちになることもあるけれど、しかしわたしがこの目で見たいとつよく願った絵画たちは、わたしをいつも、至福の慈愛で包んでくれます。

 

 「水彩庭園」も、まさにそんな展覧会でした。

 

 夢のなかに咲くように、あわく燃えたち、煙る花びら。まるで少女の、乙女の、そして女の恋のようだと思った。恋の苦しみと哀しみを、美しく昇華しようとする彼女たちの心臓のような花たちが、いろとりどりに咲いていた。

 

 この現実の扉につうじていながら夢の世界で幻を見せてくれるもの、たとえばうつつのなかでは醜さでしかない感情を、あるいは美しいのではないかと思わせてくれるのが芸術ならば、わたしの目に映したものは、そういうものでした。

 

 

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 展示されていた作品とはべつに、画家はギャラリーブックを見せてくれました。「この展覧会の趣旨とはすこし違うので、展示には選ばなかった絵なんですよ」とそのようなことをおっしゃっていた。そのなかのひとつから、わたしは目が離せなくなりました。

 

  red rose like flame

 

 「薔薇が燃えている」と、わたしは胸の内側で呪文のように繰り返しました。「恋が燃えている」

 

 あまりにも美しくて怖くて息を吞んでしまった。この絵はまさしく「恋」だとわたしは思った。自分自身のなかに芽生えたうつくしいとばかりもいえない感情に苦悩し、身もちぎれるような女の想いが、薔薇を炎でつつむ。花を焔でもやす。

 

 なんてうつくしくて、そしておそろしいのだろう。

 

 気がつくとわたしは、その作品をお迎えしたいと申し出ていました。

 こんなに幸運でいいのでしょうか。この絵をわたしが所有させていただくなんて。この僥倖に感謝を。

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 そして結びに、わたしが画家に捧げた拙文を。

 
 あなたのその繊細な手が紡ぎだすものを、ひと目見た瞬間から、わたしは恋をしてしまいました。美しさのなかには、かならず怖さが潜伏していること、どこかに毒があるものだけが、それに魅入られた者に慄きをあたえることができる。そして戦慄こそが、ただひとつのあかし。それが「美しい」のだということのあかし。わたしは怖さのないものに、魅力を感じることはありません。シューベルトの『野ばら』のなかの、「手折りて往かん野なかの薔薇 手折らば手折れ思出ぐさに 君を刺さん 紅におう野なかの薔薇」というゲーテの詩のように、これからもわたしの心をあなたの美しさで刺し、わたしに切ない痛みを教えてください。

 

 

 *画像はすべて、使用の許可を得ています。