満月の夜は

 

 おとといからきのうにかけて、月が欠けることのない球体に満ちました。

 満月の夜はお空を眺めながら、あのおつきさまがほしいなどと、不埒なことを考えてしまいます。

 

 でも、女とはそういうもののようです。

 美しい星があるとき、男は飛んでいって研究しようとし、女はそれをおのれの首飾りにしたがる。この「星」の部分をそのまま「月」と変えても、なんの不都合もない。だけどわたしはあのアポロのように月面着陸などして清らかな聖域を穢したいなどとはゆめにも思いません。お空の月が手に入らないのなら、自分で月光を密造するだけです。――このように。

 

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 密造した月光は紅茶に浮かべたり、暗闇に浮かべたりします。

 

 

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 そうそう、満月といえば大切なことを忘れていました。

 

 わたしが考案して親しいひとの耳もとにだけそっと囁いているおまじないがあって、それは新月の夜に月光箋というやはり「月」を象った型紙の裏側に祈りや願いごとを綴り、それをつぎの満月の夜まで肌身離さず持ち歩けば、月が叶えてくれるというものです。

 

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 つぎの新月にはこのおまじないを久しぶりに実行してみようかしら、などと考えています。だってつぎの満月は十五夜のうえを越えてゆく満月ですものね。

 

 十五夜かぐやひめの月。今年、つきのひめはどんな表情を見せてくれるのかしらと想像しつつ、わたしが去年「十五夜の儀式」という題名で書いた文章を最後においておきます。

 

 

 つい先日、今年の十五夜が空に浮かんで消えました。かぐやひめは月に還っていきました。

 

 月を待ち、拒む彼女の心は”いづくへか帰る日近きここちして この世のもののなつかしきころ” という与謝野晶子の歌のように哀しく切ないものだったのでしょうか。そのかぐやの胸の内を明かしてみせるように、今年の十五夜は、美しい女の愁いを隠す喪服のベールみたいに霞がかっていて幻想的な朧月でした。あれはかぐやひめの月でした。ときどきその玲瓏な顔から、はらはらと涙がこぼれ、そしてうつくしいひとは、姿を隠してしまう。

 

 けれども、奇跡のように雲間から月が顔を覗かせる一瞬がありました。その水銀のような光がふりそそぎ、自らの皮膚のうえを透きとおって浸食してゆくのを、わたしは眺めていました。

 月はすこし欠けた月でした。かぐや姫の心が完全な円の充足になることはないように、月も永遠に自分のかたちを取り戻すことはない。意味もなくそんなことを考えながら、わたしは月にむかってフレグランスをかざしました。

 

 そのときいちばん好きな香水を月光浴させるのが、いつからかわたしの毎年の儀式となっているのです。

 去年はLANCOMEのイプノーズの壜を月にかざしたのだったっけ、などとぼんやりと思いながらISSEY MIYAKEのロードゥイッセイに月の光を浴びさせました。

 美しい女の横顔のような月からこぼれた雫が壜のなかに結晶され、その日から一年、不思議な魔力がその香りに宿るのではないかと、そんな甘い願いを託して。

 

 さようなら、つきのひめ。願わくは、どうか来年もあなたに逢うことができますように。