紫陽花と黄金石の心

 

 

 わたしはほんの子どものころから、自分のなかにある二面性、というものに気づいていました。

 

 わたしが優しいのに冷たいとか、古風なのに飛んでる子とか、少女めいた感傷を抱き叶わぬ夢を追い求めているかと思えば、ひどく冷静に現実を見据えている、だとかそんなふうにいわれるのは、すべて自分の二面性によるものだと思っていました。その気持ちはいまでも変わりません。


 ある《少女》がわたしを宝石に喩えるならば黄玉なのだといってくれました。トパーズ。それがわたしに似合うジュエリーなのだと。わたしのことを、トパーズかペリドットだと思ってたのだと、彼女はいいました。

 

 彼女が教えてくれたことには、ペリドットは昔々、黄金石(トパーズ)と呼ばれていたこともあるということです。いまは別々の宝石とされているけれど、彼女のなかではおなじ名前をもつふたつの石であることを、彼女はいつものようにあの秘密を囁くような声で打ち明けてくれました。「でも、もしかしたら、逆かもしれない」と彼女。「ひとつの石がふたつの名前をもつのかもね……」


 わたしは彼女の言葉に、自分の二面性について想いを馳せました。


 たとえば、わたしは紫陽花が好きです。

 

 ≪紫陽花や 昨日の誠 今日の嘘≫と正岡子規はあの花のことを、そんなふうに俳句のなかであらわしてみせました。

 

 紫陽花は移り気な花だといわれます。

 

 昨日は真実だったことを、今日は贋物にしてしまう。そんな冷たい現実と、甘やかな夢のなかで揺れて、彷徨っている花。

 そうね、わたしもそう思う。けれども同時に、あじさいとは昨日の真実が今日贋物になっても、けっして責めたりしない、そんな花だとも思うのです。わたしは紫陽花のようなひとになりたいと、幼いころから願っていました。


 遠いむかし、ある少年が「紫陽花はきまぐれな花だね」といったことを覚えています。「時に移ろうひとの心を教えてくれるような、残酷な花じゃないか」

 

 「それならあの球形の花は、誰かの心臓なのね」とわたしはこたえました。「心が微細な色で変わってゆく瞬間を、わたしたちは見てるのね」


 「あれが心臓ならば、それは冷たい貴婦人のものだろう」とかれ。「男の愚かしい愛を吸いとって花開き、飽いたら心変わりする、雨にけむって妖しく誘い、釣りあげてしまえば見向きもしない、そんな女の心臓だとぼくは思う」


 紫陽花は花びらを散らすことなく、ゆっくりと朽ちてゆく花。枯れてもうつくしい唯一の花。少女には少女の、老女には老女のうつくしさがあるのだと、教えてくれる花。


 「わたしは好きよ」とわたしはかれの耳のマイクのむかって囁きました。

 

 「あの花の気高さが。時間という男の顔した、強奪者の罪深い指先に身をゆだねることのない、あの目映さが。そう、わたしは好きよ、あの貴婦人が。彼女の心は彼女のもの。枯れるときは自らの意志によって色褪せてゆく、あの美しさが」

 

 「もし、きみの言葉のとおりなら」とかれはいつもの皮肉な眉のあげかたをする。「紫陽花はおのれのことしか愛さない女。愛せない女。憐れな女。そういうことかな」

 

 「そういうことよ、という言葉を期待しているのなら、そういってあげる。そうではないわ、という返事が聞きたかったのなら、おしえてあげるわ。

 

 男の囁く《愛》なんて、最後の目的のための口実なのだということを、女は知っているのよ。摘みたいのならば、そうすればいい。けれども花びらのなかは、絶対に見せてはあげない。そこにはけっして目覚めることのない夢が眠ってる。その夢のなかで、彼女はたったひとりのひとにあの二文字の母音を捧げる少女として生きてるの。その夢の色にあわせて、彼女は彩りを変えてゆく。

 

 薄紫幻想。
 淡青清澄。
 深紅霊夢
 白色無垢。

 

 幻をとらえ、とらわれるために。

 現をゆめで、ぬりかえるために。

 

 あなたのために。

 わたしのいうこと、わかるかしら?」

 

 「おそらくね」

 

 「紫陽花はきまぐれな花だと、まだいうの?」

 

 「いわないよ。紫陽花は遠くにいるひとを思う花だ。思いつづけて少女のまま、枯れてしまう花だ。きっとね」


 ふたつの宝石、ふたつの花、ふたつの心。

 

 わたしのなかにはきっと、ふたつの心が共棲している。小娘であるわたし、女になったわたし、そのふたりが諍うことなく手を繋ぎあっている。

 

 ひとりが目覚めればひとりが眠る。

 

 もしかしたらこのさき、「小娘」であるわたしがずっと眠りにおちたまま目覚めない日が訪れるのかもしれない。そのときわたしのなかのふたつの心が融けあって、たったひとりのわたしになるのかもしれない。それともあるいは、心にふたつの自分をもったまま私はこのさきも生きてゆくのかもしれない。それはわからない。


 けれどもわたしは切に願います。誰かの今日の「ほんとう」が、明日の「うそ」になっても、それを責めたりしない紫陽花のようになりたいと。

 トパーズの宝石言葉は潔白、知性。ペリドッドは優しさ、平和。

 

 わたしは未完成な人間で、だからわたしの感情もまた未完成だけれど、潔白な知性のなかで、誰かの心に平和をもたらす優しさをもちたいと思う。わたしのふたつの心で、真摯に大好きなひとたちと向きあうことができたなら。

 

 

 (2016.10.11)