永遠の少女標本(3)――藤原定子

 

 藤原定子(ふじわら の ていし/さだこ、977年-1001年1月13日)

 平安時代中期、一条天皇中宮(のち皇后宮)であり、清少納言が仕えた女性。


 幸福な少女。

 


 みな、あなたは美しいと、そういってくれます。
 けれどもうつくしさに、どんな価値がありましょう。あなたがそう想ってくださらないのなら。

 もっとも大切な方に、いちばんに想ってもらえなければ、なんの意味もないのですから。

 

 「美しい」という言葉には、さまざまな意味がこめられています。

 

 ただ容貌のことをさしていうだけではない。明るい知性、精神の高潔さ、磨かれた言葉、雅な香り、機知、心の柔らかさ、相手への思いやり。

 「美しさ」とは、それらのものを濾過し、結晶させた姿にほかなりません。

 

 いつか、地獄の絵を見せてくださいましたね。

 なぜだかとても、心惹かれるものがありました。この心にもまた地獄があるということを、この胸の内側には、けっしておもてに出してはならぬ一匹の鬼が棲んでいるのだということを、あらためて思い知ったように感じ、おのれの地獄を凝視するように、あの絵から目を離すことができませんでした。

 

 あなたはそれを知らなくていい。この胸の鬼のことなど。

 ただ微笑みあって、そこにふたりにしか読みとることのできない「合図」があれば、それが極楽となります。

 

 ふたりで悪戯をし、女房たちを呆れさせ笑わせては、ゆるやかに近づいていったその距離に、またとない絆が結ばれたあの日々は、生涯の宝物です。

 

 しあわせだったころ、とはいいません。おのれを不幸だと嘆いたことなどない。こんなにも幸福な女が、ほかにいるでしょうか。

 少年だったあなたはいつしか男になりました。この心とからだを預けても全身で受けとめてくださる、そう信じられる方に。

 

 あなたのなかに、鮮やかに美しい姿で刻まれる記憶となること。それがあなたのなかに落ちる昏い影となっても、それさえもしあわせだと思ってしまうことを、どうぞお叱りください。

 


 中宮定子は、藤原中関白家に生まれ、数え十四の春に三歳年下の一条帝に入内し、中宮となる。

 帝は美貌で才気煥発、心やさしい彼女をことのほか寵愛し、彼女もまた帝を慈しみ、その愛に応えた。清少納言枕草子』にそのことは詳しい。

 

 華やかな時は過ぎ、関白であった父の道隆がはかなくなると、叔父の道長が権勢をにぎり、彼女は「中宮」とは名ばかりの窮地に追いやられる。

 

 それでも聡明さと陽気さを失うことなく、夫である一条帝の心の慰めでありつづけ、ふたりの愛はますます深まるが、それが頂点をきわめた花のように美しく綻んだころ、彼女はこの世から去っていった。

 

 享年二十四歳。一条帝が生涯想いつづけた最愛のひと。彼女を不運だとはわたしは思わない。幸福なひとだったと思う。思いたい。