少年

 

 

 K。あなたはわたしのKだけど、わたしにとって「K」の称号をもつ男のひとは、あなただけではないというお話は、まえにもしました。

 

 「K」という記号はわたしのなかで特別の響きをもっていて、男のひとのなかにある意味を発見したとき、わたしはそのひとを「K」であらわしたくなってしまう、とそういう話を。

 

  カフカのK、ヨーゼフ・KのK、梶井基次郎のK、倉橋由美子のK、そしてあなたのおっしゃるとおり、夏目漱石のKもいましたね。あげたらきりがないし、そこに答えはないのですが、あえて共通点を見つけるならば、みな、自己破滅型の男性ということがあげられるかもしれません。

 

 ところで、あなたの中学時代のエピソード、興味深くうかがいました。

 

 思いきり走って、飛び跳ねて、地球を蹴りつけて、空にむかって羽ばたきたいと願った、そんな「正しい」少年のひとりであったあなたは、それは強迫観念によって生まれた「正しさ」なのだと、そうおっしゃいましたね。

 

 少年とはこうであらねばならないという観念が、自分に少年という存在を演じさせたのだと。

 

 そんなお話を聞きながら、わたしはひとりの少年を思い出しました。遠い昔のクラスメイトを。わたしの記憶のページをめくったとき、突如出現する過去のなかに棲むあの「K」のことを。

 

 あのころ、わたしはあなたのいうところの「どこにでもいそうで世界にたったひとりしかいない、ふつうの男の子」に憧れていたのです。

 

  その少年もあなたとおなじ運動部(かれはあなたとは違ってバスケ部でしたけれど)で、授業ではふざけたことをいって先生を怒らせ、休み時間はなにが面白いのか誰よりも大きな声で笑い、悩みなんてなさそうにいつも廊下やグラウンドを走っていました。

 

  男の子たちのなかにはかれを好きなひとと嫌いなひとがいて、女の子たちはみんなでいるときはかれの悪口をいうのに、密かに片思いしている子もいるようで、でもかれは自分を嫌いな男の子のことも、自分に片思いしている女の子のことも、気づいていないようでした。

 

 どうしてそうなったのか、その男の子をまじえて男女数人でテーマパークに行くことになったとき、かれの家に集まって、かれいわく「物置よりも狭い」かれの部屋で当日の計画を決めることになったのですが、男の子たちは集結した途端テレビゲームざんまいで、かれはコントローラーを両手につかんだまま、勝手に冷蔵庫を開けてみんなに飲み物を出してほしいなどと、わたしにむかって図々しいことをいいました。

 

 わたしがしかたなくキッチンにむかうと、かれはなぜだかあとからついてきて、わたしがグラスに炭酸水を注いでいるのを見ていたかと思えば、最後のグラスにおもむろに父親秘蔵の日本酒を注ぎだし、このグラスが誰にあたるかロシアンルーレットをしよう、といいながら楽しそうに笑うのを見たとき、わたしは心の底から自分が男の子だったらこのひとのようになりたかった、と思ったのです。

 

 あとにもさきにもそんなことを思ったのはそれかぎりだけれど、あの少年もあなたとおなじような強迫観念のもと、やっぱり自分は「正しい」少年でなければいけないと、そうありたいという意識から、あの奔放さを、あの自由さを、あの闊達さを演じていたのでしょうか。世界という敵をまえに、精一杯強がって、一生懸命見栄をはっていたのでしょうか。

 

 そう思うと、あの少年Kは記憶のなかでいっそう眩しく、燃える流星のように青白い炎の痕を、たしかにわたしのなかに残しているのを感じるのです。

 

 K、あの少年は、もしかしたらあなただったのかもしれませんね。

 

 

 

 (Kに宛てたいつかの手紙の断片から、7)