夕顔

 

 K、あなたの過去の恋人の話を聞くのが好きです。

 

 そのお話に耳を澄ませているとね、なんだか不思議な音が聴こえてくるの。なんの音だろうと考えてみたのだけれど、それはたぶん、あなたのなかに広がる海の音ね。記憶の潮の音。それが満ち、そして引いてゆくのが、わたしには聴こえるのです。その音とともに、あなたの海辺の景色が目に浮かんでくる。

 

 たとえば女たちがあなたのなかに置き忘れていった手紙を入れた小瓶や、ひとつの恋の墓標を象徴するように砂のなかに突き刺さった白い骨、といったものがあなたの海に散らばっているさまが、わたしには見えるような気がするのです。

 

 あなたもきっと女のひととお別れするとき、彼女たちのなかにそういう忘れ物をしているはずね。

 

 わたしはね、あなたというひとはおそらく、自分の骨を一本、気前よくあげてしまうのではないかと思うの。これをこの恋の記念にもらってほしい。墓石にしてもいいし、化石にしてもいい。もちろん棄ててもかまわないよといいながら、女が肋骨がほしいといえばそれを、肩甲骨がほしいといえばそれを、頭蓋骨がほしいといわれればそれさえも、あなたは贈ってしまうひとのように思われて、そしていつの日か、あなたはあなたのすべてを過去に捧げて、ばらばらになってしまうのではないかと、わたしはそれがちょっぴり不安です。

 

 いつか、あなたのとても若い日の恋人に、わたしは「夕顔」と名づけたことがありました。

 

 源氏物語の夕顔。

 

 お互いの素性もわからず、だから名前も知らずに逢瀬をかわした源氏と夕顔の、あの刹那的な儚い恋。あなたもそんな恋をしたことがあるのだと、打ち明けてくれましたね。そしてあの物語とおなじような破局を迎えたのだと、教えてくれました。

 

 あの夕顔に、あなたはどんな骨を渡して、その恋を終わらせたのでしょうか。どんなふうにあなたのなかで、過去の亡霊となっていったのでしょうか。

 

 彼女は夕顔と違って死ぬことはなかったけれど、その恋がいのちを落としたとき、自分のなかで死んでしまったのだと。いまでも想い出すのは、彼女の瞳や声や髪や癖などではなくて、夕暮れの時間に彼女と待ちあわせをしたこと。待ちながら流れてゆく人波を見ていたこと。そうしているうちに彼女がどんな顔をしていたのか思いだせなくなって、もしかしたら自分は、自分の想像が生みだした女、だからこの現実のどこにも存在しない幻の女を待っているのではないかと、ふとそんな気持ちになったときのあの黄昏が、あるとき突然からだのなかに甦るのだと、そんなお話を聞きながら、わたしはなぜだかあなたの過去に、自分の郷愁を発見したような気分になりました。

 

 あなたはなんでも忘れてしまうひと。恋した女の顔さえも。

 

 でもあなた自身も覚えていない記憶の棺のなかに、あなたは彼女たちが自分に捧げてくれたもの、捧げてくれなかったもののすべてを保管しているのです。きっと。その愛の残骸が、あなたの海にひろがっている。その場所がいつか荒れ果ててしまうことがありませんようにと、わたしは祈っているのです。ほんとうに、心から。

 

 

 

 (Kに宛てたいつかの手紙の断片から、5)