セーラームーンの「宿題」としての少女革命ウテナ

 

 ひとつの作品が、誰かの人生を変えてしまうことがある。

 

 この作品に出逢うために、いままで生きてきた。これは自分のための《物語》だ、と感じたことが、わたしには二度ある。

 

 ひとつは倉橋由美子の『暗い旅』。そしてふたつめは思春期のころに観たアニメ、『少女革命ウテナ』。

 

 あのころから繰り返し、ウテナのなかに還ってゆく自分を感じる。あの作品はわたしの、故郷だといってもいい。

 


 ウテナ幾原邦彦監督は、『セーラームーン』のアニメの監督でもあった。

 わたしは幼いころに『セーラームーン』を、思春期に『少女革命ウテナ』を観て、まさに幾原さんによって育まれたといっても過言ではないと、自分では思っている。

 

 そして幾原さんは、おそらくセーラームーンを見ていた女の子たちに対する自身の「宿題」と責任として、ウテナを制作したのではないかと、わたしは感じている。


 セーラームーン以前、女の子という生き物は生まれたときから魔法が使え、大人になれば蛹が蝶になるように、なにもしなくても誰でも素敵な女性になれるし、素敵な女性になったあなたを、きっと素敵な誰かが迎えにきてくれますよ、ということをアニメは繰り返し幼い女の子たちに囁いてきた。

 

 けれどもセーラームーンはそんな砂糖菓子のような夢に革命を起こして、女の子だって身を呈して戦わなきゃいけない。そうでなければ愛も友情も手に入らないし、なによりも自分自身が素敵な女性に成長できないよ、と教えてくれた。


 それで目を覚ました女の子たちが、その「戦う女の子像」に魅せられて、わたしも自分自身の「敵」から逃げずに戦わなきゃいけない、なにもしないで幸せはむこうからやってこない、と奮起したかは知らないけれど、とにかく幾原さんが監督したセーラームーンは、わたしの世代の女たちにとって、ひとつの革命だった。

 

 その革命によって砂糖菓子の夢は、少しずつ溶けはじめてしまった。

 

 そのおなじ監督が数年後に『少女革命ウテナ』という作品をつくって、セーラームーンを幼いころに見ていた思春期の女の子たちに、どんなに戦ってもあなたを迎えにきてくれる王子さまはいない。あなたが望む愛は永遠にやってこない。そんなものに惑わされてないで、あなたはあなた自身にならなければいけない。ということを突きつけて「現実」というものを教えてくれたことは、けっして偶然ではないと思う。

 

 幾原さんは砂糖菓子の夢を完全に崩壊させて、その名のとおり「少女」たちを「革命」するウテナの物語として、革命の最終段階を感嘆するほど見事に完璧に遂行させてしまった。


 女の子も戦わなければならない。戦い抜いたらその果てに、たったひとつの真実の愛があるはずだと、セーラームーンは繰り返し女の子たちに語りかける物語だった。

 

 そのことに幾原さんは責任を感じてしまって、『少女革命ウテナ』という物語をつくらないではいられなかったのだと思う。


 すでに大人であった幾原さんは、どんなに戦っても真実の愛にたどり着けないかもしれないことを知りすぎるほどに知っていたのだろうし、だからセーラームーンを見ていた幼い女の子たちが、ご自分のメッセージを受けとれる年齢になったとき、どんなに傷ついて戦っても、あなたが辿りつこうとしている「真実の愛」はまやかしかもしれないし、「永遠」なんてものは絵空ごとかもしれないよ、という可能性を提示しておきたかったのだと、わたしは感じる。

 

 そしてそれでもあなたが戦いつづけるのだとしたら、それはとても美しいことだ、といいたかったのではないかと勝手に解釈している。


 幾原さんのそのメッセージは、とても誠実でとてもやさしいと、わたしは思ってしまうのです。

 

 ウテナはわたしの故郷です。

 

 繰り返し還ってゆくところ。存在してくれているだけで幸せな場所。

 

 

 

 (2016.9.23)