星のめぐりとシャボン玉/草舟あんとす号

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 小川の駅から徒歩で八分ほどの距離に、塔の尖端をめじるしとしたその場所はある。

 

 草舟あんとす号、コナフェ、コトリ花店と三軒のかわいいお店が《塔》のなかにならぶ、物語の舞台のような場所。草舟あんとす号さんは植物の本屋さんでありながらタロットのセッションやフラワーレメディという「魔法の小瓶」をおつくりしてくれるお店、コナフェさんは焼き菓子屋さん、コトリ花店はお花屋さん。

 

 今回は草舟あんとす号さんへ訪う機会に恵まれました。

 

 

 駅をおりて人影のまばらなまっすぐにのびた広い道を歩くとき、わたしはいつも七つ道具をしまいこんでいる優秀な鞄のなかからシャボン玉を取りだした。以前にやはりあんとす号さんに足を運んだとき、その道を歩きながら、シャボン玉を吹きながら歩きたい幸せな気持ちにさせてくれる道だと思ったことを覚えていて、だからつぎにこの場所を訪うときにはかならずシャボン玉を鞄に潜めておこうと、そんなことを考えたことを、ちゃんと覚えていたのだ。

 

 空はよく晴れていた。人魚の鱗のような雲が、青い海のなかを泳いでいた。わたしはそこにむかってシャボン玉を吹いていた。透明な泡は、まるであの人魚が愛の果てにたどりついた姿のように思われた。なにもかもが鮮明な色彩と輪郭のつよい影のなかに溶けてゆくシャボン玉は、ひどく儚く切なくて、だからこそ美しかった。

 

 「幸せな道」をゆっくり歩くと、ヒメイチゴの樹が、わたしを迎えてくれた。これが《塔》への入り口です。

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 その日は星のめぐりを教えていただくために訪ったのでした。

 

 今月の八月七日は満月で月蝕でもあったのだけど、その夜、わたしのなかの潮の流れが変わったのがわかった。不思議なくらいになにも感じず、自分自身を醒めた目で背後から見つめているような奇妙な感覚があり、わたしの心はわたしのものではなく、星の囁きのなかにこそ、わたしが自分の意志だと信じているものが隠されているのかしら、とそんなことを感じたことを覚えている。それからこのあいだの二十一日にあった新月日蝕の日までに時間をかけて、ひいていった波がまたおしよせてくるような、その押し寄せてきた波が、以前のそれより活力に光っているようなおもしろい経験をしたので、そのこともぜひうかがいたいと思っていたものの、とても楽しい時間は白いお部屋を走るひかりのように過ぎてしまったので、事前にお聞きしたいと思っていたことの半分もうかがえなかったというていたらく。

 

 こういうことはわたしにはよくあって、なぜならわたしは事前に準備してい話題より、そのときそのひとを見て、自然にあふれてきたおしゃべりのほうを優先したいから。それはその相手とその時間にしか共有できない空間だから。だからこれでよかったのです。とても興味深いお話をお聞きすることができて、ほんとうに楽しかった。

 

 そしてふと店内の書架を見渡すと、龍膽寺雄の『シャボテン幻想』があってびっくり。永いあいだ幻の書物だったけれども、いつのまにか復刊されていたなんて、とても嬉しい。シュタイナーの『百合と薔薇』、漢方美人茶とともにお迎えできて、満足なわたしなのです。

 

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 お会計をすませても、しばらくこの静謐なお部屋の空気を浴びていました。

 

 

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 すると「ご自由にお持ちください」と記された文字が目に飛び込んできて、籠のなかに美しい子を発見したのです。落ち葉でつくられたハート型の栞。この子を見つけたとき、四つ葉のクローバーを発見したときのように嬉しくなってしまって、「大切にするからね」と想いながら、鞄のなかの『荒れた海辺』の頁にはさみ、幸せな気持ちで《塔》をあとにしました。

 

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 残念なことにコナフェさんとコトリ花店さんは定休日だったのですが、また時間を見つけて三軒のお店が同時にひらいているときに訪えればと願っています。