人魚姫の嘆き/点滴堂

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 三鷹の駅北口から歩いて五分のところに、古書店と喫茶店をかねた、その場所はある。

 

 点滴堂というちいさなお店。

 

 その名前の由来は知らないけれど、訪れたひとの心に《お薬》という栄養を注入してくれるような場所、という意味なのかなと、いつものわたしの勝手な想像力の戯れで、そう思っている。

 

 ここはわたしの《秘密》の場所です。

 

 秘密は乙女を育む甘い毒であり、大切な秘密を胸の内側に隠しもっているひとこそが、美しいひとだと、わたしは思っている。おのれの心にいくつもの《扉》をもち、その《鍵》を、自分が好きな限られたひとにだけ渡したいと、つねづね考えている。

 

 だから大事なひととだけ、そっと手をつないで訪いたい。点滴堂は、そんなお店。

 

 書物の本棚がだまし絵になっている入り口の急な階段をのぼるとき、いつも兎の穴に落っこちてしまったアリスのような気分になる。天にむかって落ちてゆく。あれは天国への梯子。

 

 その梯子のさきに白いお部屋がある。

 

 天国への階段の果て。そこをのぼりきったとき、蝶になるまえの蛹を大切に守っているような、誰もが《アリス》になれる、その場所が。

 

 あのお部屋は少女のひとつの理想を具現化に等しいと思う。あの場所を訪れて、あの部屋に棲みたいと思わなかった女の子――少女がいるだろうか?

 
 少女とは不安定で、つねに《死》と隣りあわせにいるもの。

 一瞬の季節、永遠の記憶。宝石箱のなかの危うい宝物。点滴堂ほど、それを秘めておくのにふさわしい場所を、わたしは知らない。儚いものが存在することを、ゆるしてくれるところ。あのお部屋の白さは繭の白さ。訪った者は蛹の時間に還ることを、あの空間によって「ゆるされる」。

 

 

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 点滴堂のアイスカフェオレは、わたしの《お薬》。あの白いお部屋の虹のふる時間にこれを点滴されると、いつもすこぶる元気になります。

 

 

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 いま点滴堂で開催されている企画展は「人魚の嘆き」――谷崎潤一郎の小説からオマージュされた題名なのだと思うけれど、人魚といえばアンデルセンの人魚姫や小川未明の「赤い蝋燭の人魚」が想起しやすく人々の心に根づいている物語だと思う。

 

 

 とてもちいさいころ、真珠は人魚の涙の結晶のようなものだと思っていた。

 傷ついた貝が自分を慰めるために生みだす宝石。

 

 真珠に秘められた光沢の、美しさと痛ましさの意味をまだ知らなかったころなのに、わたしはそこに、かなしみを見たのだ。

 

 人魚のかなしみ。

 櫛で長い髪を梳り、妖しい唄声で船を沈没させる者。

 美と背徳の鱗を浸した水面の、青い棲家である海から顔をだし、肢体に白い泡を弾けさせて男を呼び、誘惑し、死の顎へとみちびく者。

 

 わたしが人魚たちのそんな不吉な一面を知るのは、もっとあとのことだ。

 

 幼いわたしにとって、人魚とは、アンデルセンの『人魚姫』のことだった。小川未明の『赤い蝋燭と人魚』のことだった。

 

 彼女たちは、永劫に叶わない恋に泣く。故郷の青い塩の砂漠を思って泣く。

 

 それが真珠になるのだと、わたしは思っていた。

 


 『人魚姫』からわたしが感じたかなしみは、女であることの哀しみだった。

 

 はじめて海面から顔をあげたとき、そこに眩しくきらめく自分だけの金星を、黄金に輝く愛の星を見つけて、人間となった人魚。

 変わってゆく自身の肉体への、鋭い刃の切っ先をあてられたような無力な痛み。

 

 もうあの美しい歌は唄えない。

 愛のために声を奪われたから。

 もうあの青い空間を踊れない。

 愛のために尾鰭を失ったから。

 

 おのれの意志をつたえるすべもなく、窮屈な靴に足を傷つけられても、それでもよかった。あのひとさえいれば。

 珊瑚の髪飾りも、夜光貝の首飾りも、もうとるに足りないもの。

 海底にある宮殿も、海王の娘だという身分さえも霞んでしまう。

 青い水晶の幼少期を海のなかに埋葬し、彼女は女になった。

 

 けれどもあのひとにとって彼女は、ものめずらしい孤児でしかなかった。関心を得ることはできても、それだけ。愛を得ることはできなかった。

 

 宵の明星は黒く染まり、恋に苦しみ、そうしてこぼした涙は、女であることの哀しみ。男のためにすべてを捨てることも厭わない、愛のかなしみ。

 

 

 
 『赤い蝋燭と人魚』からわたしが感じたかなしみは、故郷をもたない悲しみだった。

 

 北の海に棲む人魚。無限にひとりで過ごした海は、死んだ時間の融解物のように冷たい灰色。

 だから南に憧れる。

 君よ知るや南の国。

 そこではすべてが光の粒子に包まれ、海さえも温かい、エメラルドの楽園があるという。

 月が太陽に、水が火に焦がれるように、北は南に吸い寄せられる。

 人魚の母は生まれたばかりの我が子に幸福になってほしかった。

 

 この淋しい北の海で、南を見せてあげられないのなら、やさしい心をもつという、たのしい街にすむという、そう伝え聞く人間のもとで育ってほしいと願った。

 娘の幸せのために、母は娘を捨てた。

 海から陸にあがった人魚は故郷を知らず、自分を生んだひとの瞳の色も知らず、母が信じた「楽園」で成長した。そこがほんとうに、理想郷であればよかったのに。

 

 南に焦がれつづけた北。赤になりたかった青。

 なぜあんなに南に憧れたのだろう。なぜあんなに赤を望んだのだろう。

 世界の泪のような海の色。青を憂うばかりで、その色にこめられた美しさを、どうして信じることができなかったのか。

 故郷を思って少女がこぼした涙は、青く染まる海のような悲しみ。この世に自分がたったひとりだと知るひとの、孤独のかなしみ。

 

 
 真珠は人魚の涙の結晶なのだと、わたしはいまでもそんな夢みたいなことを考えてしまう。彼女たちの愛と孤独を内包した宝石なのだと。

 

 

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 点滴堂さんには、数多の人魚たちの泪から生まれた装身具があった。彼女たちの歌声が囁きみたいに聴こえてくるあのお部屋で、『人魚姫』の絵本を読みました。幾重にもかさなる布、丹念に縫われた糸、人魚の泪のように輝くビーズから紡がれたそれは、あまりにも美しくて、そのためにわたしを切なくした。

 

 近ごろわたしはよく考える。

 

 愛のために泡になった人魚は、ほんとうに報われなかったのだろうかと。

 ある神話では、愛の女神は泡から出現したとされている。愛のために果てた人魚と、すべての愛の源である女神。これはただの偶然の符号なのだろうかと、そんなことを。

 

 点滴堂で祈るように手を組んで睫毛を伏せる人魚の可憐さを見たとき、わたしはこの不思議な符号の必然を、あらためて信じてみたくなった。

 

 

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 いつみさんの装身具をお迎えしました。

 

 深海を覗きこむように神秘的なアクセサリィたちは、まさに人魚姫の装飾品といった趣きでとても美しいのです。タグがあまりにもかわいかったから、外さずにお写真を撮ってしまった。

 

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 現代詩手帖のバックナンバーに目をとおしていたら、ジョイス・マンスールの『鸚鵡』が掲載されていた号があり、しかもスワーンベリの挿画が添えられてあって、あまりの嬉しさに、For Ladiesの『愛さないの 愛せないの』とともに嬉々としてこれもお迎え。点滴堂さんはとにかく書架にならぶ本が好みすぎて、本棚ごとお迎えしたくなるのが困りものではあります。

 

 きょうも透明と虹と白がまざりあったあの清らかな空間で過ごせてしあわせでした。