夢魔

 

 

 K、夜明けに菜の花の夢を見て、その夢を誰かに聞いてほしいと思ったとき、その「誰か」とは、わたしにはあなたしかいなくて、だからいま、目覚めたばかりの夢と現のあわいを彷徨うような、おぼろげなこの頭で、たよりないお手紙を綴りはじめてしまいました。

 

 春に霞む、淋しい花野。そのなかを通ってゆく白と黒の葬列。漆黒のリボンがかかる額縁には、微笑した自分の顔がある。そんな夢を見たのです。

 

 あの無数の黄色い花が静謐な音をたてて鮮やかに立ちあがり、それはわたしを魔へと誘うように感じられました。

 

 わたしの定義によれば、衰弱した太陽を思わせる黄色は狂気の色です。

 

 その星の数ほどにもある花の黄色が支配する世界はまるで、極楽の景色のようで、そんなことを考えているうちにあの葬列を見失ったわたしは、菜の花のなかにひとり、とり残されていました。もう誰もいない。

 

 淋しくて哀しくて、あのどこまでも黄色がつづく空間に閉じこめられたわたしは、このままここにいたら、気が狂ってしまうのではないかしらと、心配になりました。気が狂って、鬼になってしまうのではないかしら。そう思うと、首筋が冷たくなるような不安が墨みたいに全身に滲んでゆくのを感じました。

 

 これをひとは、悪夢と呼ぶのでしょう。

 

 こういった夢魔はよく、わたしの眠りのなかに断りもなく忍びこんできます。おそらくあの魔物は、こうしてわたしをからかって遊ぶことを、密かな愉しみとしているのだと思うの。

 

 もしもこれが夏だったなら、太陽の悪意ある真っ赤な目が苛烈な色彩を放出して、なにもかもがあまりにもよく見えすぎる世界をまえに気が狂う。わたしはそういう夢を見たでしょう。

 

 秋ならば、黄色い炎をあげて燃える街路樹の枯葉の寝床で子どもたちが死人のふりをし、冬なら空に舞う天女の涙みたいな雪を眺めながら、それを掌のひらにのせたら清らかな花が咲くと信じて手を差しだしたのに、それはわたしの手にとまった途端、白い蝶の死骸となった。そういう夢を。

 

 夢魔は季節のように、いつでもわたしのあとをついてきます。振り返るようにと、わざと足音を鳴らしながら。

 

 そしてそれはときどき、目覚めている昼にまで尾行してきます。白昼夢となって、わたしの心を侵食する日蝕

 


 昼も夜もなく昨日も明日もなく、夢に遊ぶ病。

 おそらくわたしは、そんな病を患っているのでしょう。


 蝙蝠の時間が墜ちてくる白昼。銀箔に瞬く真夜中。そこに架空の国があるのです。わたし自身が夢の王たるその王国は、うつつの経験が脳に蓄積され処理し残した記憶からできています。

 

 けれどもきっと、それだけではありません。

 

 変幻自在、縦横無尽。望んでも望まなくても自分というかりそめを赤裸々に脱ぎ捨てた空間では、どんなことでも起こりうる。おのれの墓石を見ることも、死の顎へと吸いこまれてしまうことさえ。

 

 それでもわたしが、そこに安らぎと慰めを見つけてしまうのは、どんな夢も現実の悪夢よりはやさしいのだと、知っているから。

 

 もうすぐ夜が明けます。朝にむかって、世界が目覚めます。また一日がはじまるのね。たぶん、夢から醒めてまた夢を見るために。

 

 

 

 (Kに宛てたいつかの手紙の断片から、3)