罪が乙女を気高くし、秘密が少女を育む

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 肺を患った思春期の女の子たちが棲む、<寄宿舎>と呼ばれる森の修道院。そこに君臨する、罪深い《王女》は誰か。頑丈に扉を閉ざしたさきにある秘密を、鍵穴から覗いてごらん。その覚悟があるならば。罪が乙女を気高くし、秘密が少女を育む。《しこまれた王女》へと。


 これは去年の七月、伊藤裕美さんの『寄宿舎の秘密』を読み終えてすぐ、わたしが綴った感想です。

 

 正直なところ、わたしはこの物語に、頭を殴られたような衝撃を受けました。


 そのころ体調がおもわしくなくて、たしかに息をしているはずなのに生きているという確信がないままに、朝がきて、また夜がめぐり、その繰り返しだったのですが、この書物を読み終えたとき、その肉体の気怠さと重さ、からだに蓄積されていた澱のような疲労、霞がかっていた頭のなかの不鮮明さが、いっきに晴れてゆくような、そんな感覚を味わったのです。

 

 この物語を読んで、誰もがその感覚になることはないのかもしれない。

 わたしに効く薬が、あなたにもまた効くとは、かぎらないのだから。

 だからこそ傲慢にも、わたしは強く感じたのです。「これはわたしのための物語」だと。


 少女とはこういうものだった、ということを、わたしは想い出しました。
 こうあるべき、こうあってほしい、こうあらねばならないものだった、と目が覚まされる思いで放心しました。

 

 これは少女と乙女の《秘密》の物語です。もっとも罪深い者こそが、<寄宿舎>の女王となる。

 

 では、罪とはなにか?

 

 グラニュー糖のように、甘く、白く、ざらざらとしていながらさらさらともしている。ひと口舐めたらその味が忘れられない。まっしろな罪の味。それはこの書物に綴られる言葉の味と、よく似ています。


 わたしも《少女》に憧れる者のひとりとして、自分だけの秘密をもち、自身を育まなければいけない。そうつよくつよく思わせてくれた本です。名刺がわりにして、「これがわたしです」と大好きなひとたちに贈りたい、そんな気持ちにすらなりました。

 

 少女と乙女の違いとはなにか、とわたしはこの物語に出逢ってからよく考えます。

 

 たどりついた仮説としての答え。

 

 少女とは、まだおのれの美しさを知らない者のこと。
 乙女とは、まだおのれの穢なさを知らない者のこと。

 

 どちらも「透明な性」から一歩踏みだし、隔てられ、《女》という生き物へと変貌しようとしている蛹であることに変わりはない。

 

 少女と乙女は寄宿舎という繭のなかで眠りに就いている。目覚めたとき、誰よりもうつくしい蝶に孵化するために。

 

 そう、だから<寄宿舎>とはこのような場所だ。

 

“「寄宿舎に隔離された少女たちは、専門の医療を受け、教会で祈り、学問を学び、美しい言葉遣いや立ち居振る舞いを躾けられます。春はそよ風とともに歌い、夏は秘密の花園で涼み、秋は落ち葉のベッドで眠り、冬は雪の世界に怯え……。守られた世界で育まれ、胸の疾患を治して寄宿舎を去って行く頃には、少女たちは完全なる美と清らかさ、誇りとやさしさ、慈しみと気高さ、そして邪まなものへのほのかな憧れをしこまれた、立派な王女になっているのです」” 

 


 「王女」とは、誰よりもうつくしいひとの象徴でもある。それは《女》であってはいけない。「美しさ」も「穢なさ」も養分にして羽ばたく蝶になることを祈りながら、おとずれない目覚めを夢みて、蛹のなかで永遠の微睡みをゆるされる者。誰よりもうつくしくけがれた《蝶》になれるはずなのに、その可能性だけを無限大に残し、もっとも罪深い《秘密》をもつものだけが「王女」となれるその世界で、うつくしくけがれた「夢」だけをあたえ、翅もなく飛んでゆく者。

 

  少女も乙女も、胸の内側に「扉」をもっている。固く施錠して、自分以外の何者をも侵入をゆるすことのない、その扉のむこうの「部屋」。

 

 その部屋からステンドグラスの窓越しに空をみて、いつかはそこに飛びたちたいと思うのが少女ならば、ジュエリーの花越しに夢をみて、かつてをそこに植えておこうと願うのが乙女。


 閉ざされた扉を鍵穴から覗く者は、彼女たちの禁じられた秘密を見る。

 

 まっしろに翼をひろげた羽ばたく罪と、まっしろなお砂糖の甘い毒に浸された罰。

 

 雪みたいに美しく、穢れのない、白い時代は終わった。少女と乙女は《女》になることなく蝶になった。誰よりもうつくしい蝶に。自分自身という“城”に閉ざされて。

 

 

 ちなみに『寄宿舎の秘密』のあとがきに、こんなことが綴られています。

 

 
 "私の書く小説には、コルセットがよく出てきます。現代の女性はコルセットで身体を整えることを強要されることはありません。強制と束縛から解放された上でコルセットを締めるという選択をすることは、ひとつの自由です。そういった意識がとても好きです"

 


 そうコルセット! この物語は《コルセット》という観念を愛する、すべての少女と乙女のためのものだとわたしは感じます。わたし自身、読み終えてすぐにクローゼットの奥深くから、眠りについていたコルセットを引っぱりだして鎧のように装備しました。これもわたしの《秘密》のひとつ。

 

 あなたもきっと、あなただけの《秘密》を、この書物のなかに見つけることでしょう。

 

 

 

 *伊藤裕美(mille-feuille)  『寄宿舎の秘密』

 

 

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