桑原聖美/ふたりのルクレティア展

f:id:tukinoyume:20170822103356j:plain

 

 

 

 桑原聖美さんの個展、ということでどうあっても足を運びたいと思っていた、あらかわ画廊さんにお邪魔してきました。

 

 きよらかにうつくしい、というその名のとおりの画を描かれる方の絵のまえで、わたしは黄金の夢と琥珀の光にまぶされた「聖なる美」に魅入られてしまった客人でした。

 


 ルクレティア。

 


 その名前が秘密を囁くように目のなかを泳ぐ。耳朶に響く。

 

 それはおのれの貞節のために心臓をナイフで貫き死を選んだ百合のように可憐な女の名か。それとも、堕落の象徴といわれて毒の虚像をはりつけられた薔薇のように華麗な女の名か。

 


 「薔薇は太陽、百合は月、菫は星……」とわたしは呪文みたいに心のなかで繰り返しながら、《彼女》と見つめあっていた。「ふたり」のルクレティアと。


 その顔は放心的で、夢遊的で、なにかに陶酔するように、どこか遠いものたちへとむけられている。

 目は無限大をとらえ、ここではないどこか、向かいあうわたしの背後にそそがれている。眼差しを交差させながら、《彼女》の硝子のように透きとおった瞳は、けっしてわたしを見ない。

 ほんのすこし開いたくちびるは、綻んだ花みたいに「自分」という存在そのものを、他者にむかって「ひらいて」いる。

 

 彼女は何者をも受けいれる。だから何者をも拒んでいる。


 女神、天女、妖精。「きよら」なるもの。清らか。聖らか。しかしそこから、なんともいえない妖しい香りが漂ってくる。それは「きよら」かな白さではない。

 堕天使、妖女、魔女。「けがれ」たもの。汚れ、穢れ。誘惑のような蜂蜜色が、「白」を染めてゆく。塗りつぶすのではなく、「けがれ」はやさしく愛撫するだけ。

 


 これはイヴとリリスをひとりの女のなかに、おなじ比率で存在させた絵画だ、とわたしは感じた。聖なる悪女。


 桑原聖美さんの解説を拝読すると、この画は、由緒も来歴もわからずに、それ自体がひとつの「謎」として古いお屋敷の奥深くから出現した絵、という舞台を想定されながら描かれたものなのだという。この展覧会そのものにも、「架空の写し」という題材を、テーマのひとつとされているということだった。


 わたしはこの「ルクレティア」こそ、そのお屋敷の女主人だった人物なのだと想いながら、いまも洋館に棲みついている《彼女》の声に呼ばれるようにして、自分は今日という日にあの画廊に足を運んだ「客人」なのだと、ひとり遊びのように考えた。


 ひとりの女のなかの、ふたつの顔。ふたりのルクレティア。この画を目にすることができて、心から幸福だったと思う。

 

 

 

 (2016.10.26記)