天女(Kに宛てたいつかの手紙の断片から、4)

 

 

 わたしが生まれた日は、この土地ではめずらしく、雪が降っていたんですって。

 K、あなたの生まれた日にもやっぱり雪が降っていたのだと、いつか教えてくれましたね。二月。あなたがこの世に生を受けたあの季節に、わたしもまた開かれた世界にむかって産声をあげたのでした。

 わたしたちの誕生とともに、宙を舞っていたというあの天の白い花びらは、祝福のあかしだったのでしょうか。それとも憐憫のしるしだったのでしょうか。

 まえにあなたは、空のなかには一羽の鳥がいるのだとおっしゃったことがありました。その穢れなき純白の翼を羽ばたかせたそのときに、鳥の羽根が雪となって地上に落ちてくるのではないかと、幼いころから雪を見ると、そんな白昼夢のような幻視を眺めている気分になると、そういうお話でした。

 あのときから、わたしのなかにも白い鳥が棲みついているの。その色の白さは、胡蝶蘭の華やかさではなく、お砂糖のような甘さでもなく、紋白蝶みたいな軽やかさとも違います。白銀の雪の純真をその身に宿している鳥。


 そしてその傍らには、天女がいるの。


 天女。あのときにもわたしは、そういいました。

 あなたが子どものころから雪に白い鳥を見るように、わたしもまた天女を見ているのだということを。

 いつからかわたしは、雪とは天の女がこぼした涙だと思うようになりました。

 雪が降るたびに、うつくしい女が空の彼方で泣いていることに、かなしくなりました。だから雪とは、わたしにとって誰かのかなしみでした。それが感染して、自らのかなしみとなって降り積もり、だからそれを見るとわたしの目は潤んでくるのです。おそらくわたしのなかで結晶化したなにかが、漿液となってわたしからこぼれようとしていたのでしょう。それは天女が流した涙と、おなじものだったのかもしれません。

 そんなわたしの言い分に、「それなら今日は、天女になにか悲劇があったんだね」というのがあなたの返事でした。

 それはその年の冬の終焉を予告するような大雪の日でした。

 「空にどんな変事があったんだろうね」とあなた。

 「こんなにたくさん泣くなんて、生まれたばかりの赤子みたい」とわたし。


 天のあの白い花びらは、祝福のあかしでしょうか。憐憫のしるしでしょうか。


 天女もまた、嬰児だったことがあるのでしょうか。

 生まれたことがかなしくて、彼女は泣いているのでしょうか。

 あの空のなかにいても、生と死の概念からは、輪廻転生の輪のなかからは、逃れられないさだめなのかもしれない。そんなことを考えて憂鬱になるのは、人間であるわたしの勝手な感傷です。天女のかなしみはきっと、わたしの想像もおよばないような、なにかとても恐ろしく美しく、頑なに儚いものでしょう。


 雪というものが、そうであるように。


 いまはただ、あの天女が、自らに寄り添う白い鳥の冷やかに温かい羽根のなかにくるまって、ながい永い眠りにつくこと、彼女の心の平穏を祈るだけです。

 

 

 

 (Kに宛てたいつかの手紙の断片から、4)

 

 

草舟のうたとギター《森と光編》/ホリー・ガーデン

 

 

 新小平の《塔》とわたしがひとり決めしてお呼びしている場所の、正式な名称は「ホリー・ガーデン」です。植物の本屋さんである草舟あんとす号さん、二羽の小鳥の水盤が入り口でお迎えしてくださるコトリ花店さん、いついただいてもおいしいクッキーとトライフルをおつくりになるお菓子のコナフェさんからなる、みっつのお店を総称して「ホリー・ガーデン」――これはみっつのお店のまえにあるお庭のことをさしてそういいあらわすのだそうです。このお庭、妖精が棲んでいるのだそうですよ。嘘だとお思いになるならば、そっとお庭のなかを歩いてみてください。その気配の名残をきっと感じられることと思います。「妖精の椅子」を見つけたならば、そのときにはもう、あなたもホリー・ガーデンの《魔法》にかけられていることでしょう。

 

 さて、わたしがこのたびお話したかったのは、菫の花が咲きはじめた季節、冬と春の、それはすなわち世界が死と生のあわいに漂っていたころ、草舟あんとす号さんという「舟」を舞台に歌を奏でてくださった吟遊詩人のことです。このかたのお名前を相澤歩さんとおっしゃいます。相澤さんのライヴをあんとすさんのTwitterの告知で知り、その歌声を聴いてから、わたしはとてもその「吟遊詩人」のお歌をじかにこの耳で聴いてみたく思い、矢も楯もたまらずご予約をいれたことを覚えています。

 

 そしてその直感がただしかったことを、あのきよらかな白い部屋で歌声に耳を傾けながら、わたしは感じていました。

 

 

 

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 切ない祈りにも似た声で紡がれる懐かしい安らぎの歌。ステンドグラスと花と光、虹のふる白い部屋。聖なる場所。とくに「わたしたちにゆるされるのは祈ることだけ」だという『薔薇窓』という曲の痛切さがたまらなくいとおしく感じました。

 

 

 薔薇窓のある町で

 ひとはうなだれ生きてゆく

 薔薇窓 夕日砕く 祈ることだけゆるされる

 

 出会い失い嘘をついて

 いたたまれないまま橋を渡る

 薔薇窓のある教会の

 鐘の音 川にこぼれてく

 

 薔薇窓のある町で

 ひとはうなだれ生きてゆく

 薔薇窓 夕日砕く 祈ることだけゆるされる

 

 夢は絶え愛は枯れ歩き疲れ

 部屋に自分で灯りつける

 でもそれはいずれにせよ

 薔薇窓のある町の暮らし

 

 薔薇窓のある町で

 ひとはそれでも生きてゆく

 薔薇窓 朝日に咲く

 ひとは新たに生きてゆく

 祈ることだけ許されて

 

 ayumu aizawa『薔薇窓』

 

 

  こうして文章だけで目で触れると、悲痛な歌のように感じるかもしれませんが、これが相澤さんの歌声という耳からの情景を感じると、とても慈愛に満ちた曲なのです。目と耳と心に刺さったところから、その棘がやさしくわたしを浄化してくれるようなあたたかな光に満ちていて、その歌を感じた瞬間、わたしのなかのなにかが「目覚める」ような痛みと癒しの曲でした。  この『薔薇窓』にかぎらず、すべてがそのような「浄化」の作用を声と歌によっておよぼしてくれる、相澤歩さんはそのようなかたであると、わたしは感じます。しかし「『薔薇窓』の入ったCDはどちらですか?」とお聞きし、それをお迎えしてしまうくらいに、わたしにとってこの曲は意味のあるものでした。

 

 当日のライブ映像とともに、『薔薇窓』がこちらから視聴できます。ぜひ吟遊詩人の歌に耳を傾けてみてください。 

 

www.youtube.com

 

 

 

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 白いお部屋には「光」に捧げる弔花のようにTakeda Hiromさんの菫のpopup作品が飾られてありました。

 

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 ライブの帰りにいただいたおみやげです。銀の匙のうえの白い菫はいまもわたしの部屋で芳しいにおいを放って美しく微笑んでいます。すみれの花の砂糖漬けは毎日ひと粒ずつ紅茶に浮かべていただきました。吟遊詩人でありながら文筆家でもある相澤さんのご本もお迎えしたのですが、書物のお写真や言葉はもとより、ラッピングの♡の葉っぱがとても素敵で、これもお部屋に飾ってあります。

 

 こちらのライブは「すみれ」を主題とされていて、おみやげのすみれの砂糖漬けはコナフェさんが、銀の匙はコトリ花店さんがご用意してくれたものです。美しい心遣いに感謝申しあげます。わたしが参加したのは昼の部である《森と光編》だったのですが、夜の部の《森と灯り編》はどのようなものだったのでしょうか。きっと素晴らしい吟遊の宴だったことと思います。ホリー・ガーデンと吟遊詩人が魅せてくれた魔法はいまもわたしの心のなかにありますし、実はあれから毎晩夜眠るまえには相澤さんの音楽を聴き、それによって一日に想いを馳せることが安眠のための儀式のごときものになっております。

 

 

 最後に、草舟あんとす号さんについて。

 

 「ちいさな庭」であるからこそ、うつくしい花やあたたかな光に気づくことがあります。ふりそそぐ木洩れ日や虹に微笑むための「ちいささ」というのは、その空間を清潔にたもつための器。草舟あんとす号さんはそのような本屋さんだと思います。これはわたしがこれまでお迎えさせていただいた書物の一部です。わたしはあんとすさんの選書センスが大好きで、訪うとかなりの確率でご本をお迎えしてしまいます。これもあの清らかな庭の魔法なのかもしれません。

 

 

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Jardin éternel〜永遠の庭〜展/Silent Music

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 過日、東中野のSilent Musicさまで開催されていた「Jardin éternel〜永遠の庭〜」展に訪いました。さかのぼること去年、「聖セシリアの面影」という展示のときのおり、展示会に足を運ばせていただいていたわたしは、すべてのはじまりのときに、たまたまいあわせたことで奇跡のようないちれんの流れを目撃したのでした。

 

 かの「聖セシリアの面影」は薔薇の画家である豊永侑希さんと、繊細なレエスみたいなアラベスクを画のなかで表現される日香里さんの共同展示だったのですが、そのときお客さまとして豊永さんにかつて師事されたかたがいらっしゃいました。そのかたご自身も植物画家をされており、お花のコサージュなどもおつくりになるということで、「聖セシリアの薔薇」のコサージュをおつくりになり、豊永さんと日香里さん、そしてマリアさまのお庭のマリアさまこと、Silent Musicさまの女主人である久保田恵子さまのおみやげとして捧げられておられました。なんという素敵な心づかいでしょう。わたしはそのやりとりを拝見しながら、いたく感動していました。そのとき恵子さまがおっしゃったのです。「そうだわ。いつかこのコサージュをこの場所で展示させていただけませんか」—―まさに鶴のひとこえならぬマリアさまのひとこえで、奇跡みたいにものごとが決定してゆきました。その薔薇のコサージュのかたが、このたび「永遠の庭」展にご参加された作家さまのおひとり、山口茂子さんでした。それからというものわたしは、この展示が開催されるのを心待ちにして過ごしていました。

 

 これも偶然なのですが、この展示の名が「Jardin éternel」に決まったおりにもいあわせたことをよく記憶しております。「絵画のなかの花は枯れることなく、永遠に咲きつづけている。だから《Jardin éternel》――永遠の庭」がいいのではないかと日香里さんがおっしゃったその言葉も。やはり「マリアさまのひとこえ」で展示名が決まったときから、春はSilent Musicさまに、という意識をどこかにもちながら、毎日を過ごしていたように感じます。

 

 

 

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 このたび、豊永侑希さん、日香里さん、山口茂子さん、Makiさん、そして久保田恵子さんが紡ぎあげた「永遠の庭」を拝見できたこと、この祝福の五月の、たくさんの幸せのひとつとして、わたしのなかに刻まれることと思います。

 

 ご参加された作家さんがたからも、興味深いお話をたくさんうかがいました。

 

 山口茂子さんのコサージュは、彼女が手ずから育てられた薔薇の花びらから型紙をとられて愛情をこめてつくられていること。その型紙も展示されており、やはりこまやかさに山口さんのお人柄のようなものを感じました。豊永さんともお話でき、作品について感じていることをおつたえできて嬉しく思いました。わたしは人見知りをするのでなかなかおしゃべりが得意ではないのですが、どうしてもおつたえしたいことが、豊永さんにはたくさんありました。絵画に名づけられた『薔薇くい姫』という題から森茉莉を連想したこと、豊永さんの描かれる女性は森茉莉的な世界の女性のように感じられること、それはすなわち清らかでありながら妖しく、それでいて気高い女性、花嫁衣裳を身に纏いながら、その裏地には彼女しか知らない《秘密》が忍んでいそうな、高貴で美しい女性。豊永さんは薔薇の画家でありながら聖女の画家でもあり、そして聖女とは「聖なる魔」を宿した女のひとにほかなりません。わたしは豊永さんの描かれる「聖女」をこよなく愛するものです。Makiさんのビジューの装飾品のアンティークな美しさは、コルセットを身に纏った中世のレディのためのお守りみたいな印象を受けました。刻まれた十字架に、彼女たちは自分自身の「神」を託し、そして艶やかなくちびるを扇に隠す。そのような淑女のためのもの。

 

 そして心から大好きな日香里さんの絵。このきよらな横顔の微笑みを目に灼きつけてまいりました。

 

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 この聖堂みたいな空間に作品群が溶けあいながら散りばめられていて、そのなかをめぐることができるのは、いつもながらに幸福のため息をこぼしてしまいます。

 

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 マリアさまのお庭の薔薇。

 

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 このたびもありがとうございました。このような場所が存在することが、わたしの希望であり、いつでも思い出せるように胸のなかにこの聖堂があることを、誇らしく思います。

 

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